2024年08月03日
◯Art for Well-beingについて
たんぽぽの家では、2020年より「Art for Well-being 」という、表現とケアとテクノロジーのこれからを考えるプロジェクトに取り組んでいます。
プロジェクトの目的は、<病気や事故、加齢、障害の重度化など心身の状態がどのように変化しても、さまざまな道具や技法とともに、自由に創作をはじめることや、表現を継続できる方法を見つけていくこと>、そして<表現すること、表現にふれること、表現しあうこと、これらの選択肢を広げ、自分自身や周りの人たちとの関わりに変化が起きるテクノロジーの活用方法をさぐること>にあります。
現在、表現活動、ケア、テクノロジーに普段から取り組んでいる人々によるチームを複数立ち上げ、それぞれのテーマのもと、表現とケアとテクノロジーの可能性をひろげるべく実験的な取り組みを展開しています。
ALSとともに踊る身体を感じる
今回の企画は、そんなArt for Well-beingの取り組みの1つ。
テーマは、「ALSとともに踊る身体を感じる」。チームメンバーは、新井英夫さん、佐久間新さん、筧康明さん。そこに新井さんのパートナーでもある身体表現者・美術家の板坂記代子さんもパフォーマンスの強力な助っ人として加わりました。
目次
新井英夫さん
体奏家/ダンスアーティスト。自然に沿い「力を抜く」身体メソッド「野口体操」を創始者野口三千三氏に学び、深い影響を受ける。演劇活動を経て1997年よりダンスへ。国内外での舞台活動と共に、日本各地の小中学校・公共ホール・福祉施設等で「ほぐす・つながる・つくる」からだのワークショップを展開。2022年夏にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受ける。以降、対処療法を続けながら、車いすを操り、日々即興ダンスをし、各地でのワークショップ活動をSNSで発信している。コミュニティダンスのファッシリテータ養成講座(2024年3月開催)の講師も近々務めることに(ご案内はこちら)。
板坂記代子さん
身体と造形の表現家。1979年山形県生まれ。大学で絵画を学び、絵本と版画の制作を行ったのち、2006年新井英夫の野口体操と体奏に出会い、即興をベースにした身体表現を学ぶ。2010年より新井とともに舞台公演活動および、身体と造形のワークショップを実施中。自身の活動として、「てきとう手しごと工房」主宰。糸つむぎなど原初的な行為を「感覚遊び」としてとらえなおし、暮らしに忍び込ませる探求をしている。
佐久間新さん
ジャワ舞踊家。幼少の頃、臨床心理学者の父が自閉症児と研究室で転がり回っている姿を眺める。大阪大学文学部でガムランと出会いのめり込んで活動する。その後、インドネシア芸術大学へ留学。帰国後、日本のガムラングループと活動する一方、様々なダンサーとのコラボレーションを開始。たんぽぽの家の障害者との出会い以降、即興ダンスとマイノリティの人たちとのダンスに傾注。伝統舞踊におけるからだのありようを探求する中から「コラボ・即興・コミュニケーション」に関わるプロジェクトを展開。(佐久間さんの公式HP)
筧康明さん
インタラクティブメディア研究者/アーティスト。2007年東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。科学技術振興機構さきがけ研究員、慶應義塾大学環境情報学部専任講師、同学部准教授を経て、2018年4月より東京大学大学院情報学環准教授。2022年4月より教授。(筧さんの研究室HP)
ジャワ舞踊家である佐久間新さんは、2011年より、たんぽぽの家アートセンターHANAメンバーと「ひるのダンス」という、ダンスの取り組みを続けています。そこで行われるダンスは、振り付けがあり、みんなで揃えて踊るようなものではなく、その時、そこにしかない即興的なやりとりをお互いに味わいながら動いていくようなもの。佐久間さんの言葉を借りて言えば、「わかりにくくて見えにくくて繊細な表現」。逆に、そこに目を凝らし耳を傾け、そのような表現に気づくような回路を持ったなら、日常の中にもそんな表現をたくさん見つけることができるのかもしれないという、予感を感じさせるようなダンスです。
体奏家/ダンスアーティストである新井英夫さんは、これまで長きにわたり「ほぐす・つながる・つくる」からだのワークショップを展開されてきました。そのワークショップで試みられるのは、<余計な力を抜いてカラダをほぐす・ココロをほぐす。そして言葉ではなく、カラダの中から自然に湧き出た動きで自分の想いを伝える、相手の想いを受け取る…。緩やかにつながった仲間との関係や交感の中から生まれる「振り付けのない自由形ダンス」を楽しむ>こと。また、2022年夏にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受け、以降、対処療法を続けながら、活動を展開しています。
自分のからだでダンスを完結させるのではなく、まわりとの応答関係を大切にしてきた、新井さん、佐久間さん。
この2人が出会った時に、生じる“ダンス“。それは、異なる体をもった私たち一人ひとりの関わり、非言語的コミュニケーションとでもいうべきものを考える上でのヒントが詰まっているのではないか。でもダンスとは見えないかもしれない繊細な、微弱なサインも含め、そのやりとりや、そこにある関わりを考える上でのヒントを、その場にいる人にも、いない人にも、どうやってシェアし、伝えていくのか、見せていくことができるのか。
そこに、テクノロジーの力を借りることはできないか。
こうした問題意識が、今回の取り組みの出発点となりました。
インタラクティブメディア研究者/アーティストである筧康明さんは、これまで、デジタル技術を用い、五感を刺激するインタラクティブメディアを開発してきました。また、2019年に行われた、文化庁と一般財団法人たんぽぽの家が主催した公演<ダンサーの佐久間新と〈たんぽぽの家〉による「共創の舞踊劇」『だんだん田んぼに夜明かしカエル』>では、IoT監修者を担当されていました。
そこで、今回、筧さんにも入っていただき、新井さん、板坂さん、佐久間さんとのあいだで起こっている非常に微妙で繊細な表現のやりとりについて、テクノロジーを媒介させることで、鑑賞者も共有でき、楽しめるような鑑賞方法を探ることにしました。
2023年11月23日 ワークショップ
この日は、佐久間さん、新井さんが、初めてリアルな場でダンスをする日。
*2023年6月に、分身ロボットOriHimeを介してのダンスは何度か試みていました。その時のレポートはこちら
まずは、自己紹介から雑談へ。そこからシームレスに、言葉を介さない、動きでのやりとりに入っていきました。
動き始めてしばらくして、新井さんが持参されていた、紙風船と扇子が登場。
さらに、新井一座の板坂記代子さんも加わります。紙風船の数も増えて…。
触れ合うか触れ合わないかくらいの距離で動いてみたり。そこからぐっと触れ合って、腕に腕を重ねて動いてみたり。パッと離れてみたり。
動きから動きが生まれていきます。
さらに、声でのやりとりも。
アッ、ホイ、エイ、アウ、オウ・・・
意味を持たない音としての声と、リズム。たまに鳴る、車椅子についた鈴。
30分ほど経過し、いったん終了。
佐久間さん、新井さんとも疲れつつ、興奮した様子も見られます。
「細かい対話がいっぱいありましたね。ちょっとした動きが、佐久間さんによって倍増されて返ってくる感じがありました」という新井さんに、「動きが返ってくるのは、こちらも同じように感じました」という佐久間さん。
筧さんからは「紙風船があったことで、間が可視化されて、よかったです」と言ったコメントもありました。
少し休憩と振り返りを挟み、後半のセッションへ。
次は、“歩く“。新井さんが歩行器を使って歩く。佐久間さんが、新井さんの歩行器になって歩く。ということを試してみることに。
普段、新井さんがどんなふうに歩行器を使って歩いているのか、やってみる。
そこから、佐久間さんが歩行器になれるかやってみる。
“歩く”実験の後は、”座る”実験。
新井さんにとって座位が保ちやすい姿勢を探りながら、どんな感じで一緒に動けるか試してみることに。
床に座ったまま、佐久間さん、新井さんが背中合わせになってみます。
さらに、両サイドにも人がいると新井さんの座位が安定するということで、筧さん、板坂さんも加わりました。
背中を離さずに、少し傾いたりもしながら、動きつつ、時々、静かに一瞬止まる瞬間も。
言葉で「右に動くよ」とか言っているわけではないのに、4人が一体になって動いている様子が感じられます。
「背中は、ボキャブラリーが豊富なんですよ」と、佐久間さん、新井さん。
背中あわせを楽しんだ後、今度は内向きに座ってみたらどうだろうかとやってみます。
座椅子になってみるのはどうだろう。
そのまま寝っ転がってみたらどうだろう、と。
佐久間さんの上に、新井さんが寝転び、垂直に手を挙げてみたところで「下から見たこの画角は、比較的自由になる」と新井さん。
さらに「影絵になるかも」という筧さんの言葉で、会場の照明を落とし、寝転ぶ二人の胸元に携帯のライトを置くと。天井に、手の影絵劇場が出現しました。
手を動かしながら「これは背中(でのやりとり)も大事だね」と新井さん。
その後、最近、新井さんが寝返りをするのが難しい、といったエピソードから、床に寝転ぶ新井さんの手を佐久間さんがとり、ゆっくり引っ張る。引っ張られるほうは力を抜いてゆだねるという動きを試してみることに。
絶妙な力加減のやりとりの中で、佐久間さんが引っ張りつつ、新井さんがゴロン。
「気持ちいい。寝返り感覚が得られた。水の中だと比較的自由なんだけど、それに近かった」と新井さん。引っ張られて力をかけられて、転がされた、というのとは違う。かと言って、一人で転がったわけでもない。二人のやりとりの中で生まれる、ゴロン。
新井さん曰く「ダンスと理学療法の間みたい。遊びが入り込めたり、その人らしさが出る」ような時間でした。
最後に筧さんが持参されたアイテム(毛糸おもちゃ、圧電端子、触覚伝達糸電話など)を試す時間をもった後、振り返りをし、ワークショップは終了となりました。
終了後、この日行ったワークについて下記のメモを送ってくださった新井さん。
▼11/23に行ったワーク(14:00-16:30)
*新井さんのメモより抜粋
1)新井と佐久間さんと板坂さんで即興セッション30分ほど(紙風船・扇子)
2)歩行器で歩く、佐久間さんが”歩行器”になって新井と歩く(板坂さんも補助)
3)新井が車椅子から降りて座位になる→佐久間さん新井を抱えて座った姿勢でサポート
4)新井・佐久間さん・板坂さん、途中から筧さんも加わって接触して”ゆらゆらで非言語対話”(緩急つけて)
5)新井・佐久間さんで天井影絵セッション(仰向けに寝て腕を鉛直に立てると新井は楽な姿勢)
6)新井は床に寝たまま、佐久間さん”人形使い”のように。寝返りを打たせたり転がしたり踊らせたりのデュオ(リハビリ度も高し!)。
7)筧さんからアイテムやアイディアを紹介していただいて体験する(毛糸おもちゃ・圧電端子・感触伝達糸電話など)
でもこれは、最初からこの流れでいこう、と企画されたものだったわけではありません。開始前は、「こんなこと試してみたい」というアイディアは個々にあったものの、言葉で「こういう流れで行きましょう」と確認はしていませんでした。その意味で、こうではないワークの流れもあったはず。言い換えると、この日行われたワークと流れは、そのとき、その場に居合わせた人々によって即興的に編み上げられたものでした。
新井さんと佐久間さんの身体、気持ち、声、あるいは窓の外から聞こえる音、日差し、風、筧さんの眼差し、アイディア、会場にいるスタッフらの佇まい…。そういうものが2人の動きを引き出し、佐久間さん新井さんの間で何かが起こり、次の動きが生み出されていく。
共にいる人と、どのようにダンスできるかということを全力で模索されてきた二人だからこそのダンスだったと言えるかもしれません。
今回は、実験の1回目。まずは、<新井さんと佐久間さんが出会って、一緒に動いたらどうなるのか>に集中しました。
次のステップは、<今日行われたような、二人のダンス。そのやりとりを、その場にいる人にも、いない人にも、どうやってシェアし、伝えていくのか、見せていくことができるのか。>という実験になります。そこで必要なのが、筧さんのアイディアになります。振り返りでは、この日起こったことを言語化するとともに、今後どうしていくかについて話し合いました。その様子も、少しお伝えいたします。
新井:今日見ていただいて、からだの動きの対話として起きていたことのニュアンスは、オンラインの画面越しの打ち合わせだけだと伝わらないような…。
筧:全然違いましたね…。
新井:”感じ”は、今日、一緒にやって味わっていただけたと思うんで。なんですかね…。共感できる深さっていうか、伝わる強度をどう工夫するか…今日の影絵も、客観的に外から見てても楽しいけれども、一緒に手を動かしながら見るのとでは差がある。例えば、デバイスを仲介させて、鑑賞者が、実は何層にも、感覚の奥に入って来られっていうか、多層な感覚で1つのことを味わえるみたいな仕掛けがあったら面白いですね。
筧:いいですね。いいですね。
新井:さらに思ったのが、理学療法士さんとか作業療法士さんとか、僕が関わっている、リハビリの観点から身体と向き合っている人たちに鑑賞していただけたら面白いんじゃないかなと思います。
今日むっちゃリハビリになったんですよ。さらに、楽しさもあるクリエイティブな場ですよね。療養とクリエイティブの合間の作業っていうか、この領域が、まだ名付けられない領域というような気がしたんです。だからここで起きていることを見届けて欲しいと私が思ういまお世話になっている医療関係者の顔が何人か浮かびます。
パフォーマンスとして、今までのパフォーミングアーツの文脈にのせるかどうかっていうのはあまり僕の中では整理できてないんだけども、「こういうことが可能だ」っていう今日の手応えは、とても興味深かったし今後の希望にもなりました。
佐久間:二人ともというか、三人ともというか、即興を大事にする活動をしているので、どう関わるかっていうのは即興の時に1つの拠り所になると思います。
人と人とで触れ合っていく場合もあれば、風船が真ん中にあって、お互い風を送り合ってやる場合もあれば、いろいろなやり取り、特に最初のシリーズは、どうやってやり取りをしよう?っていうのがあって。そこのところに例えば筧さんが何かひらめいて、自分の専門とも近いところで何かの1つのものができれば、それを介してやり取りから始めて何かに行くっていうこともありだと思うし、今日起こっていたことがそれを介すると可視化されるのではないかな。
例えば、今日新井さんが話されていた「鉛直方向になると、非常に手が楽になって脱力して動ける」っていうことも、言われればわかるんですけど、もうちょっと何らかの方法で見てる人に、「ここでは鉛直じゃないけど、こうなって鉛直になった瞬間にすごく手が楽になって脱力している状態」みたいなのが可視化される方法があるのであれば、観てる人は「あ、鉛直に入った!」(笑)。
筧:でも、もう手の動きそのものが変わりますよね?楽になって。
佐久間:それは見ればわかる人もいるとも思うんだけども、それがもう少し…。
大井:先ほど筧さんが、例えばお尻の動きをセンサリングして光に変換することもできますみたいな話をされてました。きっと垂直に手を挙げる時も、佐久間さんと新井さんの間ではすごく微細な体のやり取りが生まれていますよね。そこを何かに変換して見せるとか。
筧:体の角度を違う現象として見せて、その後はもう手が美しいんで、それ以上何か伝える必要はないかなと思います。ゆっくり倒れていく様子を、別の光源がゆっくり変化していくみたいに明示的に見せて、そしたら胸の照明が光って、あとは自由に遊んでもらうとか、そんな…。
佐久間:例えば、光がある狭いゾーンにあって、腕がそこに入れば影ができる。鉛直を越えると…。
新井:そういうのも面白いかもしれないね。
筧:最初のところは二つあって、一つは空気をデータとして可視化したいなと。それこそCO2だったりとか、空気の密度みたいなものも変わっていると思うんです。そこをデータとしてCO2の密度の変化みたいなものを見せていって。でも、下の動きはもうそれでとても素晴らしいというか面白かったので、それ以上何かを見せるというよりは、その間の部分を見せていくと間が見えてくるかなっていうところですね。もう一つは、もうちょっと能動的に働きかけるかどうかというところで、それこそ扇風機だったりとか、3人の有機的な動きとは別にもうちょっと無機質に…。
新井:扇風機好きですね。突然意味もなく扇風機ついたり消したりしとかやってくれたらいいと思う。それは僕らにもシークレットでやってもらって、僕もその扇風機にこういうふうに首振って対話したりして…。
佐久間:今日は外のクレーンのカシャーンという音とかが扇風機の代わりだったと思いますよね。例えばCO2の可視化だったらCO2の可視化で、やってることは別にCO2とは関係ないんだけども、お互い間合いを計っているとか、微妙に動いたりすると、変わるわけでしょCO2っていうと。
筧:変わると思うんですよね。
佐久間:やってみないとわからないですけども、直接関係ないけれども、新井さんと僕はそれぐらいの何かを感じながら動いてるっていうのが、お客さんは例えばそのCO2のデータを得ることで、情報として知り得ると、より楽しみやすいと思うんですよね。今日のやつだとかなりまあ、わかりにくいわけですよね。
筧:でも、相当見えてましたよね。空気が。相当よかったです。
今日見ていて最初に思ったのは、扇子とボールだけが、つまり体が消えた状態で物の動きだけを、誰のものでもなく誰のものでもある状態がすごく面白かったので、誰が操ってるかは1回体を消して見るっていうのがあると面白いのかなと思ったんです。
佐久間:消えるVRというのも面白いですね。つけたら消えるみたいな。体が消える…
筧:ちょうど持っても持ってなくても、関係の中に物が存在してるのはすごく美しかったですね。途中からもっと空気の方に眼はいくようになって、その空気が見えない流れを見えるようにできるかなというふうに思ったと。
新井:今日は、会場の窓から見える外の景色なんかも、意識的にも無意識的も皆さんの情報としてあったと思うんですよね。そんな感じで、CO2にしても扇風機にしても、もう一個の、関わりがあるようで、でも関わりがないような存在があってもいいかも…。
筧:そういうのが邪魔にならなければ、僕は面白いかなと。
新井:むしろそれがあったほうが我々も、あるときは扇風機と同期してみるとか、CO2と同期してみるとかっていうのが起こるので、いいんじゃないかな。面白い。
佐久間:この車イスのベルみたいな働きをするものが他にもあってもいいかもしれない。
筧:危なくないようにというか、邪魔にならないように…。
新井:邪魔でもいいですよ。そもそも邪魔って何なのか?って問いかけになるのもすごくいい…。あんまりパフォーマンスとして見栄えよくとか整えないで。まだ名付けられてない領域、公開リハビリとパフォーマンスの間みたいな。例えば僕と佐久間さんの中だけで成立してるけども、端から見てると全然わかんないっていうところがあってもいいと思うんですよね。でもそれはあとで、ディスカッションで、「実はあることが起こってたんだ」とか、「こういうことになってたんだ」っていうことを言葉にしてみたり。「じゃあそれを共有するにはどうしたらいいんだ」っていう謎や課題を残していくほうがもいいんじゃないかなって思います。
病気・障害の当事者としてあえて言うと「今日の感じを、自分だけが味わっているのはもったいない」と思ったんですよ。僕が特に表現者をやってきたからって意味だけではなくて、表現者でない人でも、病気や障害でからだが動かないっていうと、自分の感覚をどうせ相手と共有できないから…と、いろいろなアウトプットを諦めちゃう人がいると思うんです。今日は十分自分の感覚を拡張してもらってフィードバックしてもらってっていう確かなやりとりを感じられた。だから、ここにテクノロジーがちょうどよく介在していって欲しい…。コミュニケーションツールっていうとどうしても言語みたいなとこにだけ焦点いっちゃうんだけれども、言葉になる前のからだの中で起こっている微細なことが大事。言語以前の感覚を共有する、拡張する、もしくは微分化してくみたいなところで、からだの中身の感覚を共有できると、なんか新しいしありがたいぞって期待します。あんまりここはやれてないかも…みたいな可能性をすごく感じました。<おわり>
構成:井尻貴子