Art for Well-Being

Research

2023年01月06日

ありあまる他者への気持ち・行動を流通させる、ふるまいのテクノロジー。NTTコミュニケーション科学基礎研究所・渡邊淳司さんインタビュー

アートとケアの観点からテクノロジーをとらえなおし、アートとケアとテクノロジーの可能性をひろげるプロジェクト「Art for Well-being」。
 このプロジェクトでは、病気や事故、加齢、障害の重度化など、心身がどのような状態に変化しても、さまざまな道具や技法などのテクノロジーとともに、自由に創作をはじめることや、表現することを継続できる方法を考えます。
 <たんぽぽの家>が2020年から試行的に始めてきたこのプロジェクトは、2022年から文化庁の一事業としても取り組み、先進的な実践や考え方を調査して発信しています。

文化庁「令和4年度 障害者等による文化芸術活動推進事業」

今回インタビューしたのは、<NTT コミュニケーション科学基礎研究所>の 渡邊淳司わたなべじゅんじさん。

NTT コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 感覚共鳴研究グループ 上席特別研究員

人間の触覚のメカニズム、コミュニケーション、情報伝送に関する研究を人間情報科学の視点から行う。触覚や身体感覚を通じて、自身の在り方を実感し、人と人との共感や信頼を醸成することで、様々な人のウェルビーイングが実現される方法論について探究している。

引用1:NTTコミュニケーション科学基礎研究所 渡邊淳司プロフィール

渡邊さんの主な著書には『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために ― その思想、実践、技術』や『情報を生み出す触覚の知性』などがあり、またNTT研究所発の触覚コンテンツ+ウェルビーイング専門誌『ふるえ』の編集長も務められています。

そんな渡邊さんに、ウェルビーイングと触覚のトピックをきっかけに、今後の福祉とテクノロジーのありようを考える話をお聞きしました。

ウェルビーイングは「目標」というより「あり方」

― まず、渡邊さんのウェルビーイング観についてお聞きしたいです。2021年のインタビューでは、ウェルビーイングを以下のように言葉にされていました。

私なりに、ウェルビーイングを言葉にするとすれば、「ステークホルダーすべての内在的価値を尊重し、他者を感じ合い、働きかけ合いながら生成的に関係を作ることで、○〇〇〇を行っていくこと」となります。

引用2:Hakuhodo DY Matrix

渡邊:
そうですね。そちらのインタビューのときは、多くの人との関わりの中でウェルビーイングを見出していくことが大事だということを強調して、そのように述べたのだと思います。今回のテーマであるアートやケアとの関わりで言うと、ウェルビーイングを「目標」だと思うか「あり方」だと思うかで考え方が大きく変わります。

もし、ウェルビーイングを目標だと考えると、自分の外にウェルビーイングがゴールとして設定され、それに向かって足りない部分をどうやって埋めていくのか、ゴールへどうやって効率的に向かっていくのかという話になります。例えば、「ウェルビーイングになるために、生きる」とか「ウェルビーイングになるために、働く、学ぶ」という捉え方になりますが、それだとちょっと辛くなってしまわないでしょうか。

むしろ、ウェルビーイングを「あり方」として、「ウェルビーイングに、生きる」とか「ウェルビーイングに、働く、学ぶ」とするなら、もっと自分から変えられるしなやかなものとして、自分事として、ウェルビーイングを捉えられないでしょうか。その場合、個人それぞれのなかで何を大事にしているのか、他者とお互いに見合いながらウェルビーイングに〇〇をする、というように自分と他者の「わたしたち」としての協働的な行為の中で立ち現れる「あり方」としてウェルビーイングを捉えるということになります。

― 今回のたんぽぽの家のプロジェクト「Art for Well-being」を考えたときに、ウェルビーイングのためにアートをするのではなく、ウェルビーイングにアートをすると捉えなおすことができて非常に参考になります。では、あえて、ウェルビーイングを定義すると、どのようなものになるでしょうか?

渡邊:
最近お話をする中で私は、「それぞれの人にとっての、よいあり方、よい状態」と説明しています。目標としてではなく、そのときに、どのように周りの人々や環境とうまく関わりあっていくのか、そのあり方がまずあって、そこからの結果として、よい状態が実現されるのかなと思っています。

例えば、あらかじめなりたい状態を想定して、一緒にご飯を食べるのではなく、一緒にご飯を食べるという行為の中からお互いにとってのよいあり方が見出され、副産物としてよい状態になる、といったイメージを持っています。そういう意味で、私は、ウェルビーイングとは、「よい状態」という形容詞的なものというよりも、「よく〇〇する」という行為に紐づいた副詞的な側面を第一に捉えています。

触覚とウェルビーイングの関係

― 「内在的価値の尊重」や「他者を感じ合い」のように、これまで渡邊さんはウェルビーイングを考えるにあたって触覚に可能性を感じているように見受けられます。触覚とウェルビーイングの関係についてはどのようにお考えでしょうか?

渡邊:
仰ってくださった「内在的価値」というのは、対象そのものの存在自体に価値を見出すことです。対義語は道具的価値で、対象が役に立つかどうか、その対象の機能で価値を判断することです。言い換えると、内在的価値とは、外からのものさしで判断しないこととも言えます。例えば、誰かと握手をしたときや赤ちゃんを抱いたとき、それが役に立つかどうかという判断の前に、その存在自体を感じることや、その存在を慈しむことが起きていると思います。触覚的体験の多くは、そこによいもわるいもなく、ただそれとともに「ある」ことしかできないという特徴があります。

そして、触覚的体験は、どちらかがどちらかに対して「する/される」という関係になりづらい。握手をしているときに、「私」が「相手」に触れているのか、その逆に「相手」が「私」にふれているのか分けることが難しい。それぞれの個人が強調されるよりも、「わたしたち」という仲間感が顕著に現れるのが触覚なのだと思います。私が触覚をウェルビーイングと結びつけて考えるのは、「あり方」や「わたしたち」といった考え方につながるからです。正確に言うと、私の場合は、触覚の研究をしていたからそう考えるようになった、と言えるかもしれません。

― NTTインターコミュニケーション・センター[ICC](以下、ICC)の触覚の展示は、まさにその事例かと思います。ICCで展示されている内容について教えてください。

展示会「触覚でつなぐウェルビーイング」
2022年6月25日(土)—2023年1月15日(日)
NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
(東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階)

引用3:リサーチ・コンプレックス NTT R&D @ICC

渡邊:
「公衆触覚伝話」という、遠隔の人と触覚を共有する机があります。目の前に、遠隔にいる人の映像が提示され、その人と会話することができるのですが、それに加えて、手元の机を叩くとその振動が遠隔にある同じ机に伝わり、机が振動します。以前、東京初台にあるICCと山口にあるYCAM(山口情報芸術センター)を結んで、東京の机を「トントン」と叩くと山口の机が振動する、山口の机を叩くと東京の机が振動する、遠隔で触覚を共有する体験をしたことがあります。

引用4:NTTコミュニケーション科学基礎研究所

この体験で興味深かったことは、人と人の新しい距離感が生まれたということでした。これまでは、人と人が直接会って触れあうか、遠隔で映像で話すかという、両極端な状況しかなかったのですが、この体験ではデジタル映像に触覚が付与されて、直接的に影響を及ぼし合うことはできないが、お互いに触れあっている感覚が生まれる、中間的な状況が実現されました。机の上で手を重ね合うなど、実際に触れあうとしたら近すぎる距離感でも、この装置では、映像上でそのようなことが初対面の人の間でも起きていて、心理的距離感が縮まっているように見えるやりとりが生まれていました。

心理的距離を変える触覚テクノロジーの可能性

― 触覚のテクノロジーは、私たちの心にどのような影響を与えるのでしょうか?

渡邊:
私は触覚を伝える研究において、「いったい何のために、触覚を伝えるのか?」ということをよく考えています。触覚の研究は、エンジニアリングの観点からすると現実をそのまま再現すること、机を叩いたらその再現は「リアルであるほどよい」「臨場感があるほどよい」という考え方があります。ただ、私の場合、感覚を代替するだけでなく、デジタルにしたからこそ生じる体験に興味があります。

例えば、触覚をできるだけリアルに共有する机を作ることよりも、心理的距離を変える机を作ってみたい。物理的距離を変える触覚技術と心理的距離を変える触覚技術は、その設計思想が違うのではないかと思います。リアルタイム性と解像度を高めて物理的距離を縮めることをめざす設計と、「リアリティはないけれど、なんだか落ち着く、親しみがわく」という心理的距離を縮める設計では、全然違う体験が生まれる気がします。

― 最近、福祉の現場でもテクノロジーが使われるようになり、認知症や視覚障害などの症状や感覚を体感できる事例があります。病気や老いなど、自分がまだ経験していないものを事前に体感できることで、どのような変化が生まれると思いますか?

渡邊:
最近は、認知症を体験できるバーチャルリアリティの装置や、暗闇の中で生活体験をするようなイベントもあります。ただ、事前にそれを体感していたとしても、実際に自分が当事者になったときには、やはり混乱してしまうと思います。ただし、身近な人が当事者になったときに、当事者がジタバタしたり、思いもよらない行動をしたとしても、それを変なことと思わなくなったり、それをしてもよい環境をつくるなど、準備ができるようになるのだと思います。

実は、それはウェルビーイングが実現される場づくりとも似ている気がしていて、それぞれの人はそれぞれ大事なことが異なります。それは、時に、周囲から見たら変な行動となって現れるかもしれませんが、それぞれにとって大事なことがあることを知っていれば、周りの人はその行動を受け入れ、そのための環境を準備することもできます。もちろん、そのときに触覚などがあることで、より実感がわくようになると思いますし、その人への心理的な距離、共感の度合いも異なるかもしれません。

価値観をつなぐきっかけをつくる

― ICCでは、ほかにも「わたしたちのウェルビーイングカード」を展示されています。

渡邊:
はい。このカードには「熱中・没頭」「信頼」「多様性」など、ある程度抽象的だけれども、具体的な状況が想像可能なウェルビーイングの要因となる言葉が書かれています。この言葉は「ウェルビーイングを感じるのはどんなときですか、3つあげてください」という質問に対する約1300人の大学生の回答をもとに、このカードを使ったワークショップでの反応などからそのバリエーションを更新してきました。さらに、これらの言葉は、「I(わたし)」「We(わたしたち)」「Society(みんな)」「Universe(あらゆるもの)」の4つのカテゴリーに分類されています。

引用5: わたしたちのウェルビーイングカード

このカードの一つの使い方として、チームビルディングのための価値観の共有があります。自分がウェルビーイングを感じる際に重要なことをカードから3つ選んでもらって、選んだ理由をチーム内でシェアします。そもそも自分の大事なことについて考えることで、自分のウェルビーイングを見つめ直すきっかけになりますし、自分の大事なことを他の人に話すことで、普段から一緒にいる人の知らなかった一面に気がついたり、コミュニケーションをスムーズにすることができると考えられます。日常生活で私たちが行動するときには、何らかの価値観に基づいているわけですが、普段それは表に出てこないから、誤解を生んでしまうことがあります。カードを選んで話すということが、それを伝え合うきっかけにもなるのではないかと思います。

また、自分が大事にしていることだけではなく、職場で大事にしたいことや、大事にしていることを3つ選んでください、という投げかけにすると、違うカードを選択することになるでしょう。それをチームで共有すると、同じチームの中でも、実は大事にしていることが全然違うなんてことも起こると思います。そこから、このチームはどうやっていこうかという、チームのビジョンをもう一度考えるきっかけになったりします。さらに、「出てきたカードを、チームで3つに絞るとしたらどれにしますか?」ということを話し合います。例えば、4人なら最大12枚のカードを3枚に絞ることになるのですが、これは職場におけるパーパスについて話し合うことにもつながると思います。

個人個人の大事なことをエピソードとして話すと、100人いたら100通りの話が出てきて「お互い違うよね」で終わってしまうのですが、カードは個人のエピソードと紐づきながらも、ある程度抽象化された「中間言語」として使うことができます。「同じカードからあの人はこれを選んだのか」と楽しみながら、個人のエピソードをウェルビーイングという視点から共有する機会を提供し、普段の行動の背景にある価値観を知ることができます。先ほどの触覚のテクノロジーの話は、人と人の身体的な関わり方のバリエーションを増やすものでしたが、このカードは、人と人の心理的な関わり方のバリエーションを増やすものなのだと思います。これらは「わたしたち」として考え、行動する基盤になると考えています。

「わたしたち」から考えるウェルビーイング

― 「わたしたち」のウェルビーイングについてもう少し詳しく聞かせてください。

渡邊:
社会の中で、人は関わりあいながら生きています。そこから考えると、ウェルビーイングは、結局一人だけの問題ではなく、集団や社会全体としてどう考えるかが大切になります。そして、現実として、自分と他人、個人と集団が全員同時にウェルビーイングであることはなかなか難しく、長い時間スパンで考えて、そこをお互いに信頼しながら上手くやっていく必要があります。だからこそ、相手への共感や価値観の理解を前提として「わたしたち」としてウェルビーイングを考える必要があると思っています。

2020年からNTTと共同研究をしている、京都大学文学研究科教授で、哲学者の出口康夫さんが「Self-as-We」という自己観を提唱しています。典型的な西洋の自己の捉え方、それぞれ独立した個人(下図左)から考えるのではなく、ある行為に関わるすべてを自己として捉え、そこから委ねられた個(下図中央)を考えるものです。これは、単純に自己を広げ、個が全体に支配されるような状況(下図右)とも異なります。どちらかというと、三人称の視点から関わりのすべてが含まれた自己と、一人称としての自己が同時に存在するような感覚で、例えば、演劇の演出家でありながら演者でもあるようなイメージ、サッカーの監督でありながらプレーヤーでもあるようなイメージに近いかもしれません。このような、全体的な視点と個の主体性を併せ持つ考え方は、「わたしたち」のウェルビーイングを実現する一つのあり方と言えるでしょう。

[参考文献1]
NTT研究所発 触感コンテンツ+ウェルビーイング専門誌 「ふるえ」Vol. 27 出口康夫氏インタビュー

画像提供:渡邊淳司さん

そう言えば、触覚体験を通して、自己の範囲が広がる実感をもったことがあります。目の見えない方が走る際には、ガイドする人と輪になったロープを握り合って走るのですが、私は、アイマスクをしてランナーの役を担ったときに、とても興味深い体験をしました。ガイドする人は、ランナーの目の役割を担っていて、ロープを通してランナーとつながり、スピードや方向をガイドするわけですが、だんだん、ランナーとガイドが、一つのシステムのように感じられてくるのです。つまり、走る「私」と、環境を見てくれる「相手」がいたのに対して、二人で走るという機能を実現するために、「わたしたち」として共同行為がなされるようになったのです。

そもそも、自己の範囲が広がるということはどういうことかというと、その範囲内にいる人とある種の運命共同体になるということです。人は、自分と他人を比較する性質がありますが、自己の外の人が幸せだと、「なぜ私じゃないのだろう」と、どこかで羨ましく思うことがあるかもしれませんが、もし、その人が自己の範囲内にいる人だとしたら、「わたしたちは幸せである」ということにもなります。そう単純じゃないかもしれませんが、幸せを感じる範囲が増えるということでもあります。

また、現代社会においても、特に、今の時代は予測できないことだらけで、VUCAの時代と言われています。実際、社会の課題を解決していこうというときには、単純に役割分担して、自分の範囲以外は知りませんというような関係だとうまくいかないことが多々ありますし、「わたしたち」として、時に他人の役割を引き受けたり、第三者がしなやかに入ってこられる関係性をつくることは、チームの持続可能性につながるのではないかと思います。

― 「わたしたちのウェルビーイングカード」を通して、親しい間柄であれ職場であれ、普段話せないことを話すと、面白く、満足度が高いと感じました。また、Self-as-Weという概念について興味深く思いました。お互いのウェルビーイングや自己観について対話することは、どんな意味があると思いますか?

渡邊:
言葉は文化を作る大きな基盤の一つだと思うので、私は言葉として話すことはとても大事だと思っています。実感で言うと、Self-as-Weという言葉を使うようになって、私が所属する研究チームの中で「これはSelf-as-Weな考え方ではないですね。ちょっと別のやり方を考えてみよう。」みたいなやりとりが生まれるようになり、それが大事だと共有できるようになりました。概念があるからこそ、それについて考えることができる、行動することができる。言葉の大事さを感じています。そういう意味でウェルビーイングという言葉も、それがあること自体はとても大事なのですが、使う側としては、まだうまく考えたり、行動したりすることができないところがあります。

なので、「わたしたちのウェルビーイングカード」をつくったのは、ウェルビーイングの概念を整理しつつ、「これもウェルビーイングなんだ」と、自分事として具体的に考えるきっかけになればと思ったからです。絵を描くのに、「何でもいいから描いて」と丸投げするのではなく、「まず、絵の具と簡単なサンプルを用意してみました」という感覚です。そうすると、ウェルビーイング自体が厳密には分からなかったとしても、こんな感じのことなんだと、とりあえず、キャンバスに描きながら他の人と喋れるようになったのではないかと思います。ウェルビーイングという言葉から、誰もが厳密に同じものを認識することはできないかもしれませんが、それについてカードを通じて対話をするなかで、具体化して実感することができてきたような気がしています。

― カードを選ぶときも「あなたのウェルビーイングにとって大切なものを選んでください」とうながしていて、ウェルビーイングを具体的に定義せずに、分からないなりにもカードが選ぶアクションができるのが面白いなと感じました。

渡邊:
ワークショップをやっているうちに、定義をそこまで厳密にしなくてもよいのではないか、と思うようになってきたんです。ウェルビーイングに対する答えあわせをするより、ウェルビーイングの事例について語り、発見していくことに意味があるのではないかと。ウェルビーイングは、ある意味、自分で定義して自分で変えていくことができる面白い概念だなと思っていて、改善や更新をすばやく繰り返すアジャイル的な活動を通して実感するものかなと思います。

[参考文献2]
情報技術とウェルビーイング:アジャイルアプローチの意義とウェルビーイングを問いかける計測手法

ウェルビーイングを内在的価値から考えると、その人が潜在能力を発揮することは、まさにウェルビーイングであり、それは外からの物差しではわからなくて、実際にやってみて自分の身体の反応を見てしっくりくるところを探し続けることに近い。自分のしっくりくる動きや関係性、環境の捉え方。それを探し続けていくことなのかなと思っています。

ウェルビーイングをある決められた最終目標だと考えると、分かりやすく点数をつけることができますが、点数付けされることで「最終目標までにあと〇点足りない・・・」となり、こう考えてしまうと、ややウェルビーイングに囚われすぎとも言えます。そうではなく、仮にゴールを設定してみて、違うなと感じたら方向を変えてみましょうと、フィードバックをしながらどんどん目標を更新していく感覚です。もちろん、測定すること自体が悪いのではなく、それを絶対視せずに常に更新していき、できるだけ多様な人と議論しながら解釈していく必要があります。ずっと8点だったとしても、何で8点なのかはその時点でも異なるでしょうし。そもそも、点数をつけている自分も何が大事かは時間とともに変わります。主観で点数付けするということは、そういうプロセスだということは知っておく必要があるのではないでしょうか。

わたしたちのウェルビーイングを測定する間主観

― わたしたちのウェルビーイングはどうやって測定するのでしょうか。

まず前提として、個人のウェルビーイングと集団や場のウェルビーイングは異なるやり方で測定します。まず、個人のウェルビーイングを測定する指標として、客観的指標と主観的指標の2つがあります。客観的指標は、健康や収入など含めた個人の状態や属性に関連した客観的に測定可能な指標です。主観的指標は、「あなたはどのくらい人生に満足していますか?」といった質問項目によって測定されるものです。

一方で、集団や場のよいあり方を測定するコミュニティのウェルビーイングという考え方があります。例えば、街自体の「よいあり方」を考えるときに、公園がいくつあるかという数値や人口あたりの犯罪が少なさなどの客観的指標と、「あなたはこの街に満足していますか?」という質問を住民にして、その平均などから環境を評価する主観的指標があります。さらに、コミュニティウェルビーイングの測定においては、「この街の人は、街に満足していると思いますか?」という、自分ではなく、周囲の人々がどのように感じているかを想像して答える間主観(かんしゅかん)的指標というものがあります。「わたしたち」のウェルビーイングを考える時には、個人のウェルビーイングだけでなく、コミュニティのウェルビーイングも満たされることが重要です。

引用6:NTT研究所発 触感コンテンツ+ウェルビーイング専門誌「ふるえ 」Vol. 40 赤堀渉氏インタビュー

私はこれらの指標の中で、特にコミュニティウェルビーイングにおける主観的指標と間主観的指標の関係が重要だと考えています。仮に、集団や場に対する主観的指標と間主観的指標について、それぞれ満足と不満足の組み合わせで4つの条件を考えてみましょう。

図の A(右上)は、「街について、自分が満足で、他のみんなも満足に見える」のは一番よい状態でしょう。一方、B(右下)の、「自分は満足で、みんなは不満に見える」というのは居心地の悪さを感じるでしょう。

C(左上)の、「自分は不満だけれど、みんなは満足しているように見える」ときは最悪で、「何で私だけが?」と考えるようになり、妬み羨みのような感情が生じますし、孤立孤独にもつながります。もし、このような不均衡を全員が感じていたとすると、全員がお互いを妬みあっているという状態になってしまうこともあります。まずは、お互いをどう見えるか共有するところから始める必要がありますし、それが共有され D(左下)のように、「みんな不満を持っていたんだと」シェアされれば、全員で頑張ろうとなるかもしれません。

「わたしたち」のウェルビーイングを考える際には、人と人をつなぐテクノロジーも大切ではあるのですが、その価値観の相互理解や、自己観の広がり、さらには、主観と間主観の関係性から捉え直すという、集団における心理的な基盤づくりが結局は大事な気がしています。今のところはその基盤づくりを、カードを使ったワークショップで行っているところですが、もう少しテクノロジーを取り入れてできることもあるのかなと思います。

― 主観と間主観の違いのようなことを、みんなでシェアすることがSelf-as-Weにつながっていくのでしょうか?

渡邊:
Self-as-Weなチームをつくり、持続していくためには、最低限、チーム内でSelf-as-Weという考え方が共有され、主観的・間主観的評価が共有されることは必要だと思いますが、共有したからといって必ずしも状況がよくなるとは限りません。もちろん、理想は、みんなが少しずつお互いのことを思えるだけの「自己の範囲」と「資源の余裕」があって、助け合えることだと思いますが、現実には、自己の範囲も資源の余裕にも偏りがあります。ここで資源とは、時間や労働量、心の余裕など、いろいろな意味での資源を想定しています。

例えば、「自己の範囲」と「資源の余裕」について考えた時に、自己の範囲が広く、かつ自分の資源を他者のために差し出せる余裕のある人は少なく、いたとしても、その人に負担が偏ってしまいます。一方で、自己の範囲は小さいけれど資源には余裕がある人もいるかもしれないし、資源に余裕はないけれど自己は広いみたいな人もいるかもしれない。それが分かると、個々の資源を増やしたほうがいいのか、自己の範囲を広げたほうがいいのか、チームで何をしたらいいのか、方針を立てることができます。

しなやかな関わりシロをつくるテクノロジー

― 最近、渡邊さんが注目されているテクノロジーや取り組みはありますでしょうか?

渡邊:
最近では、触覚の伝送以外にもブロックチェーンのような分散型台帳技術を使ったDAO(Decentralized Autonomous Organization、自律分散型組織)が、どうやって「わたしたち」という意識を持ったコミュニティを生み出すことができるのか、ということに興味を持っています。私自身の専門ではないブロックチェーンの話をするのは気が引けるのですが、最近とても興味を持っています。

私の解釈でしかないのですが、ブロックチェーンは、分散型の「お墨付き」としての機能があって、それがコミュニティ形成にとても重要だと思います。例えば、二人の関係性を保証する「婚姻届け」という書類を市役所に提出するのは、一つの理由として、そのお墨付きを国が集中管理しているからです。では、分散型「お墨付き」を実現する、具体的には、その二人に関わる仲間全員が婚姻届けのコピーを持っていたらどうでしょうか。その人たちに関わる人全員が婚姻関係だと認識していたら、日常生活において、それはある種の「お墨付き」として機能しないでしょうか。もちろん、この分散型のお墨付きが銀行通帳であれば暗号通貨の話になりますし、旅行の履歴であればパスポートのような役割も果たせるかもしれません。これらは、誰か偉い人が認めないとお墨付きにならないのではなく、仲間全員にシェアできればお墨付きになると考えるわけですが、それによって、コミュニティが生まれるという効果もあると考えられます。

一つDAO的なコミュニティを運営している事例を紹介します。古くからの友人で、鎌倉インテルというサッカーチームのオーナーをしている四方健太郎さんにインタビューさせていただいたのですが、その記事から引用します。

2021年7月から、“クラブトークン” を発行しています。ファンが株式のようなトークンを買ってクラブを支援するというものです(図1)。これまで、純粋な「応援」という意味での支援方法は、ファンクラブやクラウドファンディングといったものがありました。主にこれらは、1回限りの関係です。一方で、リターンを前提とした「投資」という支援方法もあり、株式を買い、保持しつつ、タイミング次第で売ることもできます。売る価格が買った価格より高ければ、利益を得ることもできます。クラブトークンは、応援するけどその価値もある程度保持された、「応援」と「投資」の中間のような存在です。

引用7:NTT研究所発 触感コンテンツ+ウェルビーイング専門誌「ふるえ」Vol. 41 四方健太郎氏インタビュー

「応援」と「投資」の中間だと四方さんは述べていますが、クラブトークンを買った人は、トークンを売り買いして利益を得られるだけでなく、チームのユニフォームを変更する際にそのデザインについて投票するとか、グラウンドを新しくつくるときに芝を張りに行ったり、サッカーチームの活動の一部に関与することができます。チームのコミュニティの中にいきなり入れてくれ、とは言いにくいところに、「トークンを持っている」というだけで、参加しやすく受け入れやすい関係を作っています。お金を払ってファンクラブに入ったらチケットをもらえるみたいな、これまでの経済原理による関わりではなく、そのチームとの「関わりシロを購入する」と考えると、自分もそのチームと協働体になることになります。

「関わりシロの購入」の良し悪しはここでは議論しませんが、経済原理で捉えると、「お金を払ってくれた上に、労働までしてくれてありがとう」になりますが、「わたしたち」の関係性になることで、「チームの成長や変化に自分も加わって物語の一員になる」という捉え方もできます。それを支える証明としてブロックチェーンやそれに準ずる仕組みがあるわけです。いま話したことはサッカーチームの話ですが、大きく考えれば国や地方の運営の話、少ない人数の話であれば家族や子育てを応援するということもあると思います。

もちろん、ブロックチェーンはデータとしてそれが改竄されてないことを保証してくれますが、人はデータを見るだけで絆を感じますかと言われると、そんなことはなくて、そのときに触覚技術など身体的な経験があることによって心理的な距離を縮めること、共感や信頼を醸成することができるでしょう。さらにはSelf-as-Weの自己観を意識することで、関わりシロがより強く、より広くなるのではないでしょうか。ブロックチェーンだけでなく、触覚伝送や価値観の対話を通じて「わたしたち」が醸成されることで、いろんな人を巻き込みながら新しいことにチャレンジできる余白ある組織や関わり方が生まれるのだと思います。

ありあまる他者への気持ち・行動を流通させたくなるテクノロジー

― 今回のたんぽぽの家のプロジェクト「Art for Well-being」を考えたときに、ウェルビーイングとテクノロジーの関係を捉えなおすことができてきた気がします。

これまで述べてきたテクノロジーによる「しなやかな関わりシロ」の醸成と、このプロジェクトの主題である「Art for Well-being」や「表現」をあえて結び付けてみると、まず、表現は自分の内からだけでなく、社会や自然などより大きなものとの関わりを自分の身体や感覚で受け止めていくなかで、それがその人なりのあり方で溢れ出てきたものだと考えることもできると思います。それは、自分の身体をメディアと考えるということかなと。なので、触覚を通したしなやかな関わりシロは、表現が生まれるきっかけにもなるのではないかと思っています。

それは同時に、自己観を広げるきっかけにもなっているかもしれません。誰かに信頼を寄せたり、誰かに寄付をするように、自分の中にある何かを相手と共有したり、贈与してもよいと思える感覚、そのきっかけとしての触覚に可能性を感じています。また、ブロックチェーンなど何らかの証明を持つことが、その人のアイデンティティを変容させ、気持ちや時間、お金含め、自分の資源を共有地に投げ出してよいと思えるきっかけになるのではないかなと思っています。今までの触覚研究は、個人と個人の親しみといった1対1の関係に関する取り組みが多かったのですが、それがブロックチェーンなどと同時に使われることで、いろいろな人を、深くしなやかにつなぐテクノロジーとなる可能性があると感じています。

引用・参考文献

引用
 
[トップ画像] NTT研究所発 触感コンテンツ+ウェルビーイング専門誌 「ふるえ」
http://furue.ilab.ntt.co.jp/
 
[1] NTTコミュニケーション科学基礎研究所 渡邊淳司プロフィール
https://www.kecl.ntt.co.jp/people/watanabe.junji/profile-j.html
 
[2] Hakuhodo DY Matrix「わたしたちのウェルビーイング」と触覚コミュニケーションの可能性
https://hdy-matrix.co.jp/well-being/talk/vol3/
 
[3] リサーチ・コンプレックス NTT R&D @ICC「触覚でつなぐウェルビーイング」
https://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2022/social-wellbeing-with-haptics-2022/
 
[4] 触覚公衆伝話
https://www.youtube.com/watch?v=2z0rSDr1yqk
 
[5] わたしたちのウェルビーイングカード
https://socialwellbeing.ilab.ntt.co.jp/tool_measure_wellbeingcard.html
 
[6] NTT研究所発 触感コンテンツ+ウェルビーイング専門誌「ふるえ 」Vol. 40 赤堀渉氏インタビュー コミュニティにとってのウェルビーイング指標
http://furue.ilab.ntt.co.jp/book/202205/index.html
 
[7] NTT研究所発 触感コンテンツ+ウェルビーイング専門誌「ふるえ」Vol. 41 四方健太郎氏インタビュー クラブトークンが育てていく「わたしたち」のサッカークラブ
http://furue.ilab.ntt.co.jp/book/202207/index.html
 
 
参考文献
[1] NTT研究所発 触感コンテンツ+ウェルビーイング専門誌 「ふるえ」Vol. 27 出口康夫氏インタビュー 「わたし」としてではなく「われわれ」として生きていく
http://furue.ilab.ntt.co.jp/book/202002/contents1.html
 
[2] 「情報技術とウェルビーイング:アジャイルアプローチの意義とウェルビーイングを問いかける計測手法」渡邊 淳司, 七沢 智樹, 信原 幸弘, 村田 藍子 『情報の科学と技術』(2022)72 巻 9 号 p. 331-337
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jkg/72/9/72_331/_article/-char/ja/
https://socialwellbeing.ilab.ntt.co.jp/document/information_technology_and_well-being_72_331.pdf

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