2025年02月19日
この記事は、2024年1月30日(火)に開催したトークイベント「アートとウェルビーイング -表現すること、生きること。-」のレポート〈前編〉です。
■トークイベント趣旨
人類は言葉が発明されるよりもはるか昔から、生き延びるために、他者と共鳴しあうために、愉しむために、死者を悼むために、踊りや音楽などさまざまな表現をしながら生きてきました。
そして現代は、たくさんの技法やテクノロジーが生み出され、表現する、表現に触れる、表現しあう、表現を残す、表現を設計する…など、表現の選択肢がひろがり、ひいては生きかたの可能性をひろげています。
そこで今回、表現することと生きることについてあらためて考えるため、アート、教育、社会、デザイン、テクノロジー、それぞれの視点を混ぜ合わせながら深掘りしていくトークイベントを開催しました(イベント概要)。
〈前編〉
①片桐 隆嗣(かたぎりりゅうじ)さん / 元・まつばらけやき保育園園長
②鹿野 護(かの まもる)さん / 東北芸術工科大学 デザイン工学部 映像学科 教授、未来派図画工作 主宰、WOW 顧問
〈中編〉
③菅野 幸子(かんの さちこ)さん / AIR Lab アーツ・プランナー/リサーチャー
〈後編〉
④ディスカッション
進行: 小林 大祐(こばやし だいすけ) / 一般財団法人たんぽぽの家 Art for Well-being事務局
NEWS | お知らせ
2025年1月31日(金)〜2月5日(水)の期間、〈第7回 障害のある人と芸術文化活動に関する大見本市 「きいて、みて、しって、見本市。」〉が、宮城県・せんだいメディアテークで開催されます。
表現する人たちの様子を知りたい、芸術文化活動の機会や場を探している、活動の相談先を探しているなど、次の一歩を踏み出すヒントとして、ぜひ会場にお越しいただき各プログラムをお楽しみください!
詳細はこちら:
https://soup.ableart.org/program/2024nen/7th_mihonichi/
目次
①アートやデザインとの共同の旅
片桐 隆嗣(かたぎり りゅうじ)さん
元・まつばらけやき保育園園長
②作品紹介と「つくること」
鹿野 護(かのまもる)さん
東北芸術工科大学 デザイン工学部 映像学科 教授、未来派図画工作 主宰、WOW 顧問
片桐隆嗣さん(以下、片桐)/
こんにちは、片桐隆嗣(かたぎり りゅうじ)と申します。今日は、この会場にお招きいただきまして、ありがとうございます。
まずは、自己紹介をしながら、私の研究を続けてきた問題意識をみなさんに少しでも伝えていければと思っています。
経歴としては、山形にあります〈東北芸術工科大学〉で教員として勤めていました。その後、鳥取県の〈赤碕こども園〉という造形活動の核にした保育園がありまして、そこで園長先生をしていました。それから東京の世田谷区にある〈まつばらけやき保育園〉というところで園長を務めました。
東北芸術工科大学(以下、芸工大とも言う)での仕事についてもう少し整理してみますと、芸工大では教職課程を担当しました。工芸、デザイン、社会科、地理、歴史、そういった中高の先生の免許を取りたい学生のために教職課程が設けられています。
授業を担当したり、あるいは教育実習に向けての指導をしていたんですけれども、そのほかに・・・。
あの、すいません。二年ぶりにこういうところで話をするのと、ちょっと機械の操作があまり上手じゃないので、いろいろアクシデント起こるかもしれませんが、よろしくお願いします。
専門を超えた学びの場:芸工大のチュートリアル活動
それで、芸工大にはとてもユニークな活動・仕組みがありましては、それは「チュートリアル」と呼ばれているものです。同じ興味や関心を持っている先生と学生が、専門を超えて、先生も学生も学びながら活動していくというものです。
例えばデザインの学生だったらデザインという専門を超えて、美術の先生のところに顔を出したり、地域にも出ていったりします。
私は教職課程の教員と、それとは違った活動の軸としてチュートリアルを展開してきました。そのなかで私は「教育」に関するチュートリアルを担当しましたので、もう少し具体的に紹介します。
一つ目は「やながわ自然ファクトリー」という活動です。山形県の大江町の休校中の校舎を使って、夏と冬に地元の小学生を対象に開催された自然体験プログラムです。実際の様子はこんな感じです。
地元の自然に徹底的にこだわって、小学生が学年を超えたグループを組んで、自然観察、あるいは自然の発見、あるいは表現する。そういう活動に取り組みました。
この画像は地区にいる動植物を素材にして、校舎全体を使って自分たちの博物館を作ろうという企画です。これは学生が提案した企画で、画像にはその成果・結果が映っています。
こどもたちは、自分たちの表現に徹底的にこだわって、地域の自然を校舎の中に取り込んで、そして再現して、自分たちも仮装して柳川の生き物になりきっています。こどもたちの「なりきる力」ってすごく大事だと思っています。これはトンボですね。柳川にいるトンボを女の子が再現しています。
イメージというものはすごく広がっていくものなので、例えばこの画像は分かりますかね。葉っぱのお風呂です。これ、「瀧下村塾(りゅうかそんじゅく)」という活動の中で、こどもたちが見せてくれた風景です。落ち葉のお風呂に入ってるわけです。
多くの大人は面倒くさがって、こんな葉っぱの中に入ったら服は汚れるし、洗うの大変だろうなんて思うかもしれませんが、こどもたちはそういう風には考えません。面白ければどんどん先に進んで、イメージを形にしていく、そういう力を持ってると思います。
そして不思議なことに、こどもたちのエネルギーを受け取って、それをこどもたちと一緒に広げていく大人の存在もあります。こどもたちのエネルギーだけではなくて、大人や周りの環境が作り出す力も非常に重要な要素だと考えています。
やながわ自然ファクトリーの活動はもう一つ特徴があります。それは大江町の教育委員会が企画運営を学生に任せたことです。
今だと国策も後押ししているので、こどもたちの主体性を重視して、イベントを生徒たちやこどもたちに任せることは珍しいことではないかもしれません。
ただ10年以上前の当時としては、「教育委員会が責任を取るから、学生たちにある程度は好きにやっていいよ」と働きかけて認めてくれる関係はあまりなかったと思います。
教育委員会と学生の関係に加えて、学生がこどもたちに対して「好きに作っていいよ、自分たちを表現したいもの好きに表現していいよ」という関係づくりが行われたことも特徴の一つです。
自分たちが好きなことを好きなように作れることは、こどもたちからすると本当に幸せなことなので、表情はとても豊かでのびのびしていると思います。
次の画像は「だがしや楽校(がっこう)」という活動の風景です。
教育や保育の場に根付いている考え方(=先生や大人が教える人で、生徒とこどもが教わる人)には権力構造が潜んでいます。
権力関係はできるだけ崩して、大人であっても、こどもであっても、自分が好きなこと、やりたいことを持ち寄って、場を作っていこう活動を展開していきました。これは全国的にある程度ひろがりを見せた活動です。
子育てであれば保育士、教育であれば先生や教師、病気であれば医者や看護師、あるいは事故や事件に関わるものであれば警察官というように、近代は生活を構成するさまざまなカテゴリーが専門家の手に委ねられています。
一方で、素人の手から切り離されてしまったという問題意識があります。だからこそ、自分の好きなこと、できることを持ち寄って、そしてお互いに豊かな学びを共有していく、そんな考え方で行われた活動です。
最後は「みつけたむぎの」という活動です。山形県と宮城県の県境にある天童高原に上がっていく入口の田麦野(たむぎの)という集落での活動です。
今までの事例は学生とこどもとの関係の中で展開されてきたものですが、この事例は学生とお年寄りたちの関係の中で展開されたものです。
画像に映っている場所は、現在は公民館として使われていて、かつては小学校の校舎だった場所です。学生たちはそこに寝泊まりしながら、制作のための散策やデッサンをしたり、住民の方々と飲食をしたり、イベントを企画しながら、住民との交流を行ったものです。
この画像はキャンドルナイトの風景です。地元・地域の方への恩返しとして、学生たちが廃油からロウソクを作って、それを村中に灯して夜の田麦野の魅力を引き出しました。こうしたイベントには地域外からも参加者を集めていました。
さらに、ここ8年ぐらいで20人弱の移住者があったそうです。今の人口の130人のうち20名で、しかもそれを8年ぐらいで増やしているわけですから、田麦野の魅力があると見て取れると思います。
それからもう一つ、表現ということで面白いなと思ったのはこの画像です。
これは学生たちが公民館で作品展を開催して、訪れた地域の方々に作品解説をしている映像です。今日この会場に来ている吉田裕子(よしだ ゆうこ)さんという方がいらっしゃるんですが、吉田さんがこれだけの大作を描いたものを解説し、それを地域の方々が聞いているというような図です。
おじいちゃん、おばあちゃんたち、みんなが美術や造形に興味関心を持ってるわけではないと思うんですね。最初は孫ぐらいの娘や息子たちが来たから「一生懸命に話をしてくれてるから聞いてやんべ」ぐらいの気持ちから始まってることだと思います。ここから先ほど紹介したさまざまな交流の中で、お互いがお互いの感性を磨き合う機会になっていきました。
最終的にはびっくりしたのは、住民と学生との共同の展示会が開かれるようになったり、大学の卒業制作展にバスに乗って地域の方々が観に来たり、そういう繋がりが生まれてきました。
制約のないこどもたちの表現
経歴をもう一つだけすいません。〈こども芸術教育センター〉という、新しい幼児教育あるいは芸術教育のあり方を考えて実践する施設の立ち上げに関わらせてもらいました。そこから見えてきた表現というものの特徴について簡単ですがお話しさせてください。
例えば、美術や造形をする際に美術室や工作室という部屋があって、そこには絵の具や筆が置いてあって、さまざまな条件や制約の中でこどもたちは制作・表現行為をしているわけです。
けれども、こども芸術教育センターの取り組みの一つとして印象に残ってるのは、こどもたちから制約を取り去ったときに、こどもたちの表現がどのように変わってくるのかを実験的に試みを展開していたことです。
絵を描くための屋内の専用の場所ではなく、素材もある程度決められて制作活動をするのでもなく、屋外でいろんなものを自由に素材として使って表現をしていく環境を与えられたときに、こどもたちがどんな表現を見せてくれるのかを試してみた活動です。
これは石膏像ですよね。よくよく考えてみれば、石膏像はもちろん美術の専門の学生が使ってデッサンの勉強したりするものですけど、こどもがどういう風に使うのか、こどもたちにいろいろ聞いてみようというプロジェクトです。
その後は鳥取県に移り、イタリアのレッジョ・エミリア保育をやっている〈赤碕こども園〉で園長先生をやりながら、幼児教育や保育の中で表現というものがどんな可能性を持っているかをいろいろと実践してみました。
それから世田谷区にある〈まつばらけやき保育園〉の園長先生をやってくれないかと声をかけていただいて、意気揚々と臨みましたが、新型コロナウィルスがあった上に、パーキンソン病の診断を受けました。それが2年前のことです。
表現におけるウェルビーイングと権力構造
それまでは保育者として、あるいは園長先生として、研究者として生活していたわけです。けれども、パーキンソン病の診断が出てからは、保育者としてのウェルビーイング、園長先生としてのウェルビーイング、研究者としてのウェルビーイング、そういったものが断ち切られる状況になってしまいました。
ディスカッションの中でみなさんに向けてお話しできそうなことの一つは、パーキンソン病によって断ち切られたウェルビーイングをどのように取り戻すことができるか。
先ほど小林さんからArt for Well-beingプロジェクトの背景にある事情や考え方の説明がありましたけど、私もやはり同じように問題意識を持っていて、断ち切られたものをどうやって取り戻すことができるか、あるいはそれをどうやって付き合っていけばいいのかを探るために、少しずつですけども活動し始めたのでご報告できるかなと思っています。
それから表現する場面では限りなく権力性を弱めることについてもディスカッションでお話できればと思います。〈だがしや楽校〉のときにも言いましたけど、先生が教える人で、生徒が学ぶ人というような関係は、ある意味で先生の権力みたいなものが成り立っている部分があると思います。
やはり表現する場面で権力が働くと、表現がいろんな形で制約されたり転換されたりして、表現が広がらなかったり深まらなかったりすることもあります。私がやってきたのは社会学という学問で、基本的に権力のありようみたいなものを研究してきて、それをアートの観点から再創造していくような仕事をしてきました。
「権力」ということで言えば、『少年犯罪の社会的構築』という本があるんですけど、7~8年かけて調査して共著で一冊にまとめました。社会学の場合、こういった権力構造を言葉で説明をしていくことなって、結局は読者が限られたり、関心を持つ人の層が限定されてしまいます。
けれどもアートは言葉以外のいろんなメディアを使えるし、実際に現場に出て実践できることもあると思います。私が勉強してきた権力についての知識や経験を、アートをやってる学生たちがどういう風に解釈して、そしてまた新しいものを創造していくのか。教育社会学とは違うアプローチが私からすると面白くて、学生たちと一緒にチュートリアルを続けていたんだと思います。
権力を弱めるためのキーワードとして「対話」「プロセス」「プロジェクト」「葛藤」などがあると考えていますが、もう随分時間も過ぎてしまったので、またディスカッションのときに話題が出ればお話をさせていただければと思います。ありがとうございました。
鹿野護さん(以下、鹿野)/
こんにちは、鹿野護かの まもる申します。このような場所にお招きいただきましてありがとうございます。
宮城県松島町に在住で、仕事としては東北芸術工科大学、片桐先生は大先輩なんですけども、そちらの大学で教え始めて4年が経ったところになります。
映像学科という学科で、学生たちとともに映像を学んだり、試行錯誤して社会に向けてどんな映像を作っていくかを考えながらやっております。
いま画面に年表というか図が出てると思うんですけども、私は年表マニアでして、何かあるとすぐ年表を作るという癖があるんですね。これは働き出してからの自分の人生の年表なんですけど、実はもっとプライベートなバージョンもあり、小学生から何してきたか、みたいなことを書いていたります。
振り返ってみると、自分の場合は27歳ぐらいに大きな転機が起きているのがわかります。それから色々と出来事が連鎖していきます。最近は枝分かれが激しくて収拾がつかなくなってきているんですけど(笑)。
次のスライドで、大学では教育に携わっているんですけれども、今回は私がやってきた最近のトピックスについていくつか紹介させていただきます。
まず、教員をやる傍らで、ワウ株式会社(WOW)という仙台創業の映像の会社がありまして、そちらで映像をずっと作ってまいりました。その経験を生かして、今はアプリを作ったりしていて、そちらがグッドデザイン賞を取らせていただきました。
先ほど年表マニアという風にも言ったんですけど、「道具を作りたい」マニアでもありまして、何かあるとすぐ道具を作る癖があります。以前に本を書く機会があったんですけど、本を書く前に半年かけて「本を作る道具」を作って編集者に怒られるっていう経験もございます。
アプリとして作った道具がプレゼン用のツールで、コロナ禍に学生たちとどんな風にコミュニケーション取れるかっていうことを考えながら作ったアプリです。
それから実は49歳で大学院を卒業ということで、今で言うとリスキリングと言うんでしょうか、大学院に入りなおして、映像を学び直して、ゲーム制作を行いました。
未来派図画工作という個人的な表現のプロジェクトもずっと続けておりまして、今は民俗学とゲームを組み合わせて、何か地方や地域から面白いものを作れないかなと、いろいろ実験しております。
じゃあどんなものを作ってるかというと、映像を見ながら紹介したいと思います。
たとえばこの「移動祝祭日」という映像作品は、人が残像のように残ってるんですけど、これは実は自分の記憶を形にしたらどうなるかなということで、いろいろ考えて作ったものです。東日本大震災で、私の住んでいた地域が完全な更地になってしまって、そこにあった建物とか港とか、そういったものを形にしたらどうなるかなというものでした。
こちらは山形を舞台にした作品なんですけど、山形がですね、もともと湖の下に沈んでいたという「藻が湖(もがうみ)伝説」がありまして、それをテーマにしたものです。
このゲームの中でこだわったのが、地域でどんどんお寺やお堂がなくなったり、取り壊しされているものを登場させている点です。なくなってしまう運命のお堂を3Dスキャンしてゲームの中で復活させ、伝説として残すみたいなことをやっております。
「大歳ノ島」は大学院の卒業制作で作ったものです。東北の民族をテーマにして、お正月をゲームにできないかなと、お正月の習わし、たとえばお賽銭入れたり、お参りに行ったり、それを3つの地域から山頂をめざしてお正月のお参りに行くというゲームです。東北のいろんな話、民間伝承などをモチーフにして、最後は初日の出が出てきて1年が終わるという作品です。
なぜつくる
私がなぜ作っているのかということを、キーワードを考えてきました。
理由として大きいのが、自分しか知らない思い出というのは、人知れず忘れられていきますよね。それを何か形として残していけないかなと考えています。
それからものづくりに携わっていると思うことがあり、色ってすごい不思議だなとか、なんか時間って変だなとか、社会の成り立ちの奇跡的なことに気づくと、「こういうのを形にしてみたいな」と思い作品にしたりしています。
あとはやはり、消えゆくもの、小さきもの、みたいなものを心にとどめたいなっていう気持ちがすごくあって、〈船着観音堂(ふなつきかんのんどう)〉」は、実際に私が作品を作っている間に取り壊されてなくなったお堂です。
ニコンの方と一緒に3Dスキャンをして内部を保存しました。一作者としてはそれぐらいしかできないけれども、心にとどめたくて作ったりしています。
どうつくる
次に「どうつくる」ということなんですけど、さきほど見ていただいた作品は、何か商業的に作ったものではなくて、本当に自分が作りたいものを作ってインターネットで発表しているだけです。
そのときにすごく面白いなと思うのが、どこで実験しようが、世界中のどこかの誰かが目撃してくれることです。さっきの海坊主が出てきた妖怪のゲームは、Twitterで出したところ600万人の方に届いているんですね。
山形と松島を行ったり来たりしながら1人でコツコツ作っていたものが、そういう広がりを見せることは、今のメディアを使った表現には可能性があるかなと最近感じております。
それから作品を作るときにいろんなものを調べたりしていくんですけど、その調べることが面白くて面白くて、今やリサーチしたいから仕方なく作品を作るっている感じになってます。作品の完成というのは、このリサーチを止めるための儀式みたいな感じです。
あとは古いことと新しいことを掛け合わせたときに 旬しゅん みたいなものが生まれるなといつも思っています。日本料理のコースにもありますが、”はしり” と ”なごり” みたいなものを掛け合わせたときに旬が表現できるように、伝統的なものやメディアを掛け合わせていきたいなっていつも思っています。
(上記スライドの)下の写真が〈笹谷峠(ささやとうげ)〉です。私は毎日のように山形と松島を行き来していて、今ゲームの中で雪山を作っているので、この笹谷峠を見るのが楽しみで楽しみでしょうがなく、本当に美しいなといつも感じています。
(上記スライドの)上の写真が、『二十世紀ボヤージ』という二十世紀の歴史を集めた作品です。それを公開したところ、Apple創業者のスティーブ・ウォズニアックさんからメールで「面白いの作ってるなぁ」という連絡をいただきました。その作品がこちらです。
さきほど年表マニアと言いましたが、ただ歴史順に見るだけではなく、ランダムにシャッフルしたらどうなるかなと思ったんですね。そのときの軸が、例えば人っていろんなものを壊してきたよねとか、人っていろんなものを作ってきたよね、という軸でシャッフルしてみました。
戦争やテロを人間はどれだけやってきたか、デザインとかアートで人間はどんなものを作ってきたのか、ひたすらずっと年表と向き合って5~6年やっていました。5000個ほど自分の気になる歴史を集めて、それをシャッフルして表現するというスクリーセーバーの作品です。自分が素敵だなと思った言葉を大量にエクセルに集めていたりもしていました。この作品も終わらせるために作ったという感じでした。
ほかにも色が不思議だなといつも思っていて、世界中の700色を集めてみました。色は世界中で色んな名前がついていて、海外だとこんな名前なんだとか、日本にしかない色あるなとか、集めに集めてこのときは700色で終わりましたがもっとあると思います。
なにつくる
このようにさまざまな作品を作っていますが、今回このイベントに参加させていただく中で、何を作っているのかを考えたときに、やはり1つは、いろいろと調べたりしている中で、現実を忘れたり、自分の好奇心に身を委ねたり夢中になれる瞬間を作りたい。そういう尊い時間が欲しくて作っていると思います。
それから、やっぱり驚きたいです。「わあ、すごいな」とか「ここっていい場所だな」とか、そういう驚きを作ったり、それを感じるために作ってるなとも思います。
あともう1つ。今回はあまり道具の話はしていませんが、常に道具を作っている状態ですので、今の暮らしがもう少し良くならないかなとか、この面倒な処理をもうちょっと自動化できないかなとか、常に少し俯瞰した視点でメディアを捉えられないかなと思いながら、いつも自分の活動をしているところです。
以上で私の自己紹介を終わりたいと思います。ありがとうございました。
【中編に続く】