Art for Well-Being

Report

2025年01月27日

【レポート】アートとウェルビーイング -表現すること、生きること。〈中編〉

この記事は、2024年1月30日(火)に開催したトークイベント「アートとウェルビーイング -表現すること、生きること。-」のレポート〈中編〉です。

■トークイベント趣旨
人類は言葉が発明されるよりもはるか昔から、生き延びるために、他者と共鳴しあうために、愉しむために、死者を悼むために、踊りや音楽などさまざまな表現をしながら生きてきました。

そして現代は、たくさんの技法やテクノロジーが生み出され、表現する、表現に触れる、表現しあう、表現を残す、表現を設計する…など、表現の選択肢がひろがり、ひいては生きかたの可能性をひろげています。

そこで今回、表現することと生きることについてあらためて考えるため、アート、教育、社会、デザイン、テクノロジー、それぞれの視点を混ぜ合わせながら深掘りしていくトークイベントを開催しました(イベント概要)。

〈前編〉記事はこちら
①片桐 隆嗣(かたぎりりゅうじ)さん / 元・まつばらけやき保育園園長
②鹿野 護(かの まもる)さん / 東北芸術工科大学 デザイン工学部 映像学科 教授、未来派図画工作 主宰、WOW 顧問

〈中編〉
③菅野 幸子(かんの さちこ)さん / AIR Lab アーツ・プランナー/リサーチャー

〈後編〉
④ディスカッション
進行: 小林 大祐(こばやし だいすけ) / 一般財団法人たんぽぽの家 Art for Well-being事務局

NEWS | お知らせ

2025年1月31日(金)〜2月5日(水)の期間、〈第7回 障害のある人と芸術文化活動に関する大見本市 「きいて、みて、しって、見本市。」〉が、宮城県・せんだいメディアテークで開催されます。

表現する人たちの様子を知りたい、芸術文化活動の機会や場を探している、活動の相談先を探しているなど、次の一歩を踏み出すヒントとして、ぜひ会場にお越しいただき各プログラムをお楽しみください!

詳細はこちら:
https://soup.ableart.org/program/2024nen/7th_mihonichi/


トークイベント〈中編〉

アートとウェルビーイング ~表現すること、生きること~ 英国の事例から

菅野 幸子(かんの さちこ)さん
AIR Lab アーツ・プランナー/リサーチャー

アートとウェルビーイング ~表現すること、生きること~ 英国の事例から:菅野 幸子

菅野幸子さん(以下、菅野)/
菅野幸子(かんの さちこ)と申します。出身は仙台と福島の中間くらいにある白石で、現在はそちらに住んでおります。その前は東京で〈国際交流基金〉というところで働いておりました。

国際交流基金は日本の文化を海外に紹介している団体で、私は国内の国際文化交流をやっておられる団体を支援する立場におりました。そういった経緯から、たんぽぽの家さんをはじめ、全国の国際文化交流を実践している方たちと知り合う機会が大変多く現在に至っています。

これまでの経験の中で、現在は、文化政策、アーティスト・イン・レジデンス、国際文化交流というフィールドで研究をしたり、教えたり、プロジェクトのお手伝いをしたり、さまざまな仕事を手がけております。

実は中高時代にわたって美術部に所属していましたが、自分の才能にちょっとガックリきまして、美大には行かなかったという経験があります。

そういった経験の中で、アートとの関わり方は、自分がアーティストやクリエイターになる道だけではなく、コーディネーションをする、あるいはご支援していく役割もあることに気がつくようになってきました。

そんな仕事をやりたいと思っていましたが、当時の日本にはそういった現場がなかなかありませんでした。今もまだ十分にあるとは思えませんが、現場を支える立場に回る道を選びました。

現在は英国の文化政策を研究することも私の仕事の一つになっています。そこで知り得た英国での考え方などを今日の話題提供としてみなさんと共有させていただきます。

Art for Well-being プロジェクトのように、アートとテクノロジーの話は日本の中でも試行錯誤されていて過渡期にあるかと思いますが、英国も同様だと思っています。

英国においては〈アーツカウンシル・イングランド〉という組織があって、かなり戦略的に文化政策を推進しています。アーツカウンシルは非常に優れた組織で本当にいろんなことを先進的に取り入れて、英国内の文化団体の活動に対して助成もしています。

日本の中でも各地にアーツカウンシルが設立されてきていますけれども、決して英国が先進というわけではないと思っています。日本においても、たんぽぽの家をはじめとして、エイブル・アート・ジャパンなど仙台や東北の地で豊かな活動が行われていますし、それぞれの国の事情によって政策や手法が考えられていいと思います。

ただし、日本の文化芸術活動をどうやって継続可能・持続可能なものにし、よりステップアップしていくかは、みんなで知恵を出し合い、情報を共有し合い、これから進めていく必要はあろうかと思います。

仙台市や政府にもっと支援してほしいということはもちろんありますけれども、決してやり方や活動においては日本も負けていないと考えています。

しかしながら、今回の話題提供では、英国ではどのように文化芸術への理解やアクセスが進められてきたかご参考までに紹介させていただきたいと思っています。

クリエイティブ・ヘルス

最近、「ウェルビーイング」という言葉をよく聞きますが、日本では人生の中での満足感、幸福度、などさまざまに訳されています。それぞれ個人がどういう状態であればウェルビーイングなのか、それは私たちがめざすそれぞれの文化的な豊かさだと個人的には考えています。

現在の英国では、健康とクリエイティブな活動を組み合わせて考えられています。人間は常に創造的であると考えられており、健康もクリエイティブな状態によって維持されるという考え方が議論されています。

2017年7月に、英国の中でも超党派の議員たちが『Creative Health: The Arts for Health and Wellbeing(クリエイティブ・ヘルス:健康とウェルビーイングに寄与する芸術活動)』というかなり厚い調査報告書を発表しました。

その要約版を〈国立アートリサーチセンター〉が翻訳していますので、ご興味があればダウンロードしてご覧になってみてください。

人間にとってアート、すなわち文化芸術は薬になりうるという考え方で、アートは、健康、それから人間の人生の充足度、あるいは幸福度、そういったことを維持する上で重要な役割を果たしているのだと主張しています。

例えば、認知症の患者の方々に対する音楽療法(ミュージックセラピー)、あるいはさまざまな文化芸術活動に関わることによって仕事のストレスが軽減されること、あるいはロンドンで経済的に恵まれていない地域に住んでいる人々が芸術活動に関わった後に健康が促進されたこと、あるいは自分のアイデンティティが変化する効果があること、など多彩な事例が取り上げられています。

従って、文化芸術は私たちの健康の維持や回復、長く充実した人生の実現に寄与する、それから文化芸術は高齢社会・慢性疾患・孤独・メンタルヘルスといった医療福祉が抱える重要課題への対処に活用できる、文化芸術は医療サービスや社会福祉における費用削減をもたらす、という議論が展開されています。

さらに英国でも日本同様、年々高齢者の数に人口が増えるに従って、医療費が高く負担がかかっているという経済的な実情も反映した内容となっています。

このようにクリエイティブ・ヘルス、つまり創造的な活動こそ個人の人生にとって最大の薬になり得るということを主張しています。

とくに文化芸術活動においては、受け身な鑑賞型というよりは、自分が積極的に創造的な活動に携わることが奨励されています。そういった参加型アートの効用もまとめられています。

例えば、参加者の79パーセントの人々の食生活が改善したであるとか、それから参加者の77パーセントの人々の運動量が増進したであるとか、創造的な活動をすることによって私たちの健康というものが促進されるのだと報告されています。

エデュケーション・プログラム/社会的処方

もう一つ、英国の文化施設においては、社会とつながる高齢者向け、お子さん向け、いろんな文化背景を持っている個人に向けて、さまざまな展示やアウトリーチ活動が盛んに行われています。

エデュケーション・プログラムと言われる場合もありますけれども、多くの文化施設、例えば、博物館、美術館、コンサートホール、ありとあらゆるところでアートに触れる機会を提供するプログラムが数多く設けられています。ここは若干日本とは違うところです。

Social Prescription(社会的処方)」という考え方もあります。健康を維持するために病院に行って薬をもらうということが普通の治療法ですが、そうではない考え方です。

生活習慣病など私たちのライフスタイルから生まれている病気も多くあると思いますが、創造的な活動をすることによって薬に依存していくことを少なくする、そのためには薬ではない処方箋を受ける、それが「社会的処方」とされています。この言葉は日本の中でも少しずつ取り入れられるようになっています。

このように薬に代わって社会的な処方箋を受けることができることが、我々の創造的な活動を推進していくことが重要なポイントになるかと思います。

こういった考え方の基盤として 英国の現在の文化政策の理念があります。2016年に発行された文化政策の指針をまとめた『カルチャー・ホワイト・ペーパー』に次のような内容が書かれています。

(1)誰でも、人生のどの段階からでも、文化が提供する機会を享受できること。
(2)文化がもたらす豊饒(ほうじょう)さは、全国どのコミュニティにおいても受益できること。

どんな年齢、どんな人、どこに住んでいようとも豊かな文化芸術活動を受益することは、国民の権利だと謳っています。

お年寄りになったり、片桐先生のようにパーキンソン病を患ったりしていても、身体的・精神的制限があっても創造的な活動に参加するにはどうしたらいいかを考えることが、いまの文化芸術団体にとって大きな目的の一つとなっています。

また英国における「文化」の定義も変化しています。

「社会にインパクトをもたらす、また経済活動とも密接に関係している創造的な活動を意味し、能動的な意味での文化」

「公共政策は省庁を横断して総合的に考えられるべきであり、福祉、教育、経済など公共政策いずれの分野においても文化芸術を考慮に入れなければ立案できない。目指すべき公共政策とは、より多くの人々に対しあらゆる分野においてアクセスを広げ、人間が生涯を通じて知的好奇心を持ち続けることが重要なのだ。文化は創造力を生み、社会の再生につながる。英国民のアイデンティティを形成する豊かな想像力を育む源泉となり、経済力を高める。これが、21世紀の英国にとって重要な公共政策なのである。」

初代DCMS大臣クリス・スミス(Chris Smith)の言葉より引用。英国では、1997年に初めて「文化」が冠された省として「文化・メディア・スポーツ省(DCMS)」が設立され、スミスはその初代大臣に就任し、画期的で包摂的な文化政策を打ち出したことで知られる。

また、今回はテーマとはなっていませんけれども、都市の地域活性化においても、文化芸術の要素が重要となっています。これまで紹介したような要因も含めて、英国では文化芸術を通した地域再生や社会との繋がりが必須という状況になってきています。

個人の記憶に文化施設ができること:
『House of Memories』

一つ事例としてご紹介するのは、高齢者、とくに認知症の方々と美術館や博物館とがどのように関わることができるのか、という取り組みを世界で初めて〈国立リバプール博物館〉で実験的に取り組まれていることです。

それが『House of Memories』、思い出の家あるいは記憶の家と言われるものです。博物館の機能には、過去の文物、あるいは私たちが日常に使ってきた歴史的なものを展示を通して見せていくことがあります。

それを個人に置き換えれば、個人の昔の記憶というものを、美術館や博物館のやり方を応用して、転用できるのではないかという考え方です。

House of Memories』は英国でとても話題になっていますけれども、実は1月25日の朝日新聞GLOBEの紙面でも取り上げられたばかりです。「アートは全ての人を包摂する」と文脈で取り上げられています。

ミュージアムは、ものを大切に保管し、そこに宿る人々の記憶や文化を語る存在です。医療的アプローチとは異なる方法で、認知症の人や彼らをケアする人を支えられるのではないかと考えから、このプロジェクトが始まったわけです。

過去の記憶と結びつける文物を展示することは、ケアの世界においても、認知症の患者が記憶を取り戻す一助になるではないかと考えて研修プログラムも立ち上げています。

これは2012年から取り組まれていて、現在に至るまで発展してきているプログラムです。認知症の方々が自分の記憶を取り戻すというよりは、過去の記憶との結びつきや、その人を支えるボランティアの方たちとの間のコミュニケーションツールとなる、そういった一助になるという考え方です。

ほかにも『記憶のスーツケース(Suitcase of Memories)』という取り組みがあります。これは必ずしも博物館の中でやるとは限りませんが、個人が持っていた自分が若かった時代を思い出すような写真や思い出の品々、当時の絵本などをスーツケースに詰めて、個人のところに持っていきます。

例えばボクサーだった方でしたら、「プロのボクサーでしたね」みたいに話しかけてコミュニケーションでき、その人が自分の記憶に繋がるツールを作っています。

それから介護においては、コミュニケーション、思いやり、尊厳、これらをどのように尊重していくかを問題意識として、家族や施設で働いている方たち、つまりケアをする人たちを対象とした研修プログラムがあります。

その中には、演劇をしている人たちが参加して、認知症の方たちがどういう風に日々感じているかを演劇で表現したり、展示物を見たり、あるいはどのように傾聴をすべきかを学ぶ講義を受けたり、それをもとに認知症の方たちとのコミュニケーションの取り方を学んでいくような研修プログラムがあります。

どういう風に取り組まれているかの紹介映像がありますので、少しそれを見ていただければと思います。

映像 『House of Memories | National Museums Liverpool』  

出典:National Museums Liverpool ウェブサイト/About House of Memories

外観の映像は〈国立リバプール博物館〉の外観です。こういったプログラムの財政的な支援は、日本でいう厚生労働省のような政府からの予算が出ています。

ご家族の方や、福祉施設の職員の方たちが多彩な研修を受けている場面と、実際に認知症の方々がどんな風に感じているかの研修を受けている場面です。

こういったパッケージの中に、高齢者の方々が昔使った、あるいは見たことのあるものを詰め込んで、持っていって、話の手がかりにしています。

とくに、何か思い出しながら話を進めていくという回想法に適していると言われています。

それからアウトリーチとして「思い出の家 オン・ザ・ロード」という事例があり(映像『House of Memories | National Museums Liverpool』:3分16秒~)、トラックの中にいわゆるプロジェクションマッピングのような形で、昔の八百屋さんや小物屋さんなど、高齢者の方にとって懐かしい映像を車の中に映し出しています。それを見ながら会話が弾むということにも取り組んでいます。

こういったことを支援しているのは、公的な福祉支援組織に加えて、地元のスーパーマーケットなどからお金を募って、プログラムを実践しています。

それからこのプログラムのアプリも開発して、無料で提供しています。一般的なアプリと同じようにダウンロードして、自分たちが写真を使って、認知症の方が家族と話を進めることができます。

これが『思い出の家(House of Memories)』のアプリですけれども、これをダウンロードして自分でカスタマイズして、自分たちの家族の写真を取り入れて対話します。

それから美術館も、ラップトップやiPadなどのタブレットを全部貸与することまでやっています。

先ほど動画で見ていただいた『思い出の家 オン・ザ・ロード』というアウトリーチは、美術館や博物館に来られない方々のためにトラックで出かけていくことも目的としています。

思い出の家によって会話やコミュニケーションを促進することは、美術館や博物館の機能を使って、どのように認知症の方々と会話をし続けていくか、そのための対話の手段と考えていいのかもしれません。

博物館と高齢者や認知症の方々をつなぐという考え方は、これも朝日新聞GLOBEに紹介されていまして、台湾や日本でも取り入れられるようになってきているとのことです。

台湾の方では博物館などに行くチケットを高齢者の方々にお配りして、なるべく美術館や博物館に積極的に行けるように展開され、この中にはもちろん医者や介護者、いろんな方たちが加わったプロジェクトになっています。

それから東京都美術館では、つい最近『認知症世界とアートの出会い』と題して、ワークショップがひらかれました。とくに東京芸術大学の学長を務められている日比野勝彦さんというアーティストの方がいらっしゃいますが、障害者のことも含めて、彼はこういった方向に非常に関心を持っておられますので、積極的に展開されていることがあると思います。

誰もが楽しめるアートの未来

そのほかにバレエとパーキンソン病、認知症とバレエという形で、プロのダンサーたちが加わって、ワークショップが盛んに行われています。

片桐先生もそうだと思いますが、私たちは高齢になればいつどんな病気にかかるかは誰も予測できないし、明日自分がどうなるかはわかりません。私もいつ障害を抱えるようになるかっていうのは予想できない状況だと思います。

そういったときに、私たちが一個人として、どういう風にアートと向き合って、社会と向き合っていくか、これは誰にとっても遠い話ではなく明日にでも起こり得ることです。

誰もが人生の中でどんな段階においてもアートを楽しんでいくことは、常に突き付けられている問題ではないかと思っています。

人間にとって本当にアートが必要ということは先ほどイギリスの例でも言いましたが、日本の文化芸術基本法でもそのことは謳っているわけです。

そして、そういったことを私たちがみんな一緒になって考えていく時代がやってきているのではないかと思われます。

最後にご紹介するのは、コンテンポラリーダンスを中心に活動しているロンドンにある〈|Sadler’s Wells(サドラーズウェルズ)〉という劇場の取り組みです。ここでは〈高齢者によるダンスカンパニー(Company for Elders)〉を作り上げている試みがあります。

その中では、一人一人が「高齢者」ではなく「ダンサー」として関わっています。先ほどのパーキンソン病で方たちとのワークショップもそうですけれども、一人一人がダンサーとしてカンパニーで活動しています。

これまでは年を取れば何かができなくなるという考え方があったかと思いますが、そうではなく、人生100年時代と言われているなかで、いつの時代も、私たちがどうやって文化芸術に関われるかは一生考えていくべきだし、そもそも一生関わっていくものではないかと思われます。

高齢者のダンサー、高齢者のコンテンポラリーダンスやバレエカンパニーという役割ができている中で、プロのダンサーの考え方にも影響を与えているそうです。

これまでは高齢になったら技術的にダンスができなくなって引退という考え方がありました。けれども、プロのダンサーの方たちにとっても、引退という言葉ではなく、続けようと思えばいつまででも続けられる、そういった考え方に変わっているそうです。

このように年齢であるとか、あるいは文化背景であるとか、そういったことに関係なく、私たちが文化芸術を自分の中でどう捉えていくかによって、考え方は変わっていくものではないかと思われます。

ということで、私の方からは、英国の一つの例ではありますけれどもご紹介させていただきました。ありがとうございました。


【後編に続く:近日公開】

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