Art for Well-Being

Report

2025年03月17日

レポート┃とけていくテクノロジーの縁結び〈後編〉記録:ササマユウコ 2025年1月18日実施

Art for Well-beingの取り組みの1つとして、2023年度にスタートした <とけていくテクノロジーの縁結び>。チームメンバーは、進行性の難病ALSを発症した体奏家・新井英夫さん、たんぽぽの家のダンスプログラムもけん引されている、ジャワ舞踊家・佐久間新さん、踊る手しごと屋であり、新井さんのパートナーでもある板坂記代子さん、メディアアーティスト×インタラクティブメディア研究者・筧康明さんです。
 このたびはオブザーバー/記録に、音楽家、芸術教育デザイン室CONNECT代表のササマユウコさんをお迎えして、2025年1月18日に行われた公開実験の様子をレポートしていただきました! (1月12日実施の前編レポートはこちら)

*プロジェクトの経緯
2022年度
・2023年1月24日、2月14日 分身ロボットOriHimeを介してのダンス[レポート
2023年度
・2023年11月23日 第1回ワークショップ。初めてリアルで一緒に踊る[レポート
・2024年2月8日 テクニカルリハーサル。公開実験に向けて、実験1週間前に同じ会場で実施。佐久間さんはzoomで参加[レポート
・2024年2月15日 公開実験[レポート
2024年度
・2024年5月10日 ふりかえりオンライントークセッション。2023年度の活動をふりかえりました[レポート
・2024年6月29日 上映会&トーク「ダンス×ケア×テクノロジーの可能性を探る」[レポート
・2024年7月19日 公開実験に向けてのワークショップ
・2025年1月12日 リハ/非公開実験[レポート
・2025年1月18日 公開実験 ←今回ササマユウコさんがレポートするのはこちら!

告知
[展覧会/シンポジウム]Art for Well-being 表現とケアとテクノロジーのこれから 2025年3月19日(水)-3月23日(日)シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]
・2024年度の取組について動画やパネル等で展示します
・3月19日(水)17:00-18:30 は「とけていくテクノジーの縁結び」メンバーが出演するシンポジウムもあります

新井英夫(体奏家/ダンスアーティスト)
自然に沿い「力を抜く」身体メソッド「野口体操」を創始者野口三千三氏に学び、深い影響を受ける。演劇活動を経て1997年よりダンスへ。国内外での舞台活動と共に、日本各地の小中学校・公共ホール・福祉施設等で「ほぐす・つながる・つくる」からだのワークショップを展開。2022年夏にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受ける。以降、対処療法を続けながら、車いすを操り、日々即興ダンスをし、各地でのワークショップ活動をSNSで発信している。

板坂記代子(踊る手仕事屋/身体と造形の表現家)
1979年山形県生まれ。大学で絵画を学び、絵本と版画の制作を行ったのち、2006年新井英夫の野口体操と体奏に出会い、即興をベースにした身体表現を学ぶ。2010年より新井とともに舞台公演活動および、身体と造形のワークショップを実施中。自身の活動として、「てきとう手しごと工房」主宰。糸つむぎなど原初的な行為を「感覚遊び」としてとらえなおし、暮らしに忍び込ませる探求をしている。

佐久間新(ジャワ舞踊家)
幼少の頃、臨床心理学者の父が自閉症児と研究室で転がり回っている姿を眺める。大阪大学文学部でガムランと出会いのめり込んで活動する。その後、インドネシア芸術大学へ留学。帰国後、日本のガムラングループと活動する一方、様々なダンサーとのコラボレーションを開始。たんぽぽの家の障害者との出会い以降、即興ダンスとマイノリティの人たちとのダンスに傾注。伝統舞踊におけるからだのありようを探求する中から「コラボ・即興・コミュニケーション」に関わるプロジェクトを展開。
https://shinsakuma.jimdofree.com/profile-1/

筧康明(インタラクティブメディア研究者/アーティスト/東京大学情報学環教授)
1979年京都生まれ。博士(学際情報学)。2007年に東京大学大学院にて博士号取得後、慶應義塾大学、MITメディアラボ等での活動を経て、現在は東京大学大学院情報学環教授を務める。物理素材の特性や質感を起点に五感を通じて体感・操作できるフィジカルインタフェース研究や作品制作、インタラクションデザインに取り組む。その成果は、CHI、UIST等の国際会議、Ars Electronica、文化庁メディア芸術祭等のアートフェスティバルや展覧会など分野を超えて発表され、受賞も多数。主な共著に「触楽入門」(朝日出版社、2016年)、「デジタルファブリケーションとメディア」(コロナ社、2024年)。
https://xlab.iii.u-tokyo.ac.jp

〈写真〉『とけていくテクノロジーの縁結び「公開実験」』の前  撮影:ササマユウコ

はじめに

 1月18日に行われた公開実験は、12日に生まれた〈イメージの断片〉をひとつの風景に結び直した〈ライブ・パフォーマンス〉として、同じ時間帯に同じ会場で実施されました。この後編では、公開実験の前後の様子、準備とアフタートークを中心に、実験者/参加者の言葉を交えた複数の視座から記録しています。本番中のパフォーマンスは12日の実験内容と響き合っていますので、その時空をサウンドスケープの視座から捉えた〈前編・とけていくテクノロジーのある風景〉を是非併せてご参照ください。

アートとケアのテクノロジー

 気持ちよく晴れた冬の午後、日の入り時刻と共に始まった実験は、曇り空だったリハよりも濃淡の強い光のグラデーションの中で進んでいきました。印象的だったのは、外が暗くなるにつれて背景の窓ガラスが鏡となり、街の風景の中に(上に?)室内の風景が映し出されていったことです。会場の内と外をつなぐ窓は、虚実が重なり合う拡張現実(AR/Augmented Reality)でもあった。天井の白い蛍光灯が連なって外に飛び出していく。屋上庭園にも白い棒(にょろにょろ)が出現する。室内の照明が消されると闇が生まれ、棒の白が浮かび上がる。その曲線はまるで生きもののように蠢きながら踊る身体ととけあっていく。交錯する白と黒の線。電動車椅子の緑と赤のテールランプ。無機質で機械的な操作音のオンガク。壁面の鏡に反射するノスタルジックな電球色。壁と天井に浮かぶ影。地響きを立てながら現れるワゴン。佐久間さんの微かな声。ブクブク、ゴボゴボと泡立つ音。窓の外に飛び出す板坂さん。上下する新井さんのシルエット。静かな呼吸音。
 既に1ヵ月を経て、筆者の脳内にある〈イメージの断片〉を〈アート〉として結び直した時、それは〈過去からみた未来図〉のようにどこかSF的です。一方で最近出席した叔母の葬儀の風景も重なる。日常と非日常、明と暗、生と死、静と動、呼と吸、内と外の境界線をとかしながら〈ここではないどこか〉に導かれるような、厳かな静寂の印象でした。
 この静寂さを失わず〈いまここ〉に集中するために、事務局の意向もあって本番中の写真撮影はありませんでした。ですから、この印象は筆者の〈記憶の風景〉なのです。もはや夢のように輪郭が曖昧で、目の前の窓ガラスに映る内と外の世界だけが思い出される。もしかしたらそれは、筆者の脳が創り出したリハと本番がとけあった仮想現実〈VR〉なのかもしれません。

 現実に寄った見方をすれば、公開実験は新井さんの体調をはじめ全てが無事に終了しました。舞台芸術の視座からは〈成功〉だったと言えるでしょう。ハプニングではなく〈段取り〉を踏まえて進む時間は、即興性の代わりに鉄や硝子を溶かして型に流し込むようなアートが生まれていました。考えてみればこの〈段取り〉や〈型〉は舞台芸術のテクノロジーです。前編でもご紹介しましたが、佐久間さんはジャワ舞踊の〈型〉をテクノロジーの例にあげています。そもそも〈段取り〉とは神社仏閣の階段をつくる際に、高さや勾配から段数を見積もる数学的な建築テクノロジーです。〈みる人〉を想定した舞台芸術は〈表現〉を滞りなく届けることが最大の目的ですから、それを支える仕組みや装置や環境をケアすることは重要な仕事です。
 しかし前編でも記したように(全体監修の小林さんが話していたように)、このプロジェクトの目的は〈表現〉だけではありません。〈公開実験〉と呼ばれている理由もそこにあるのでしょう。筆者のように受けとめた側が記憶を頼りに〈美〉を再構築するのはアートの醍醐味のひとつですし、それが間違っている訳ではない。ただこの時間は〈表現×ケア×テクノロジー〉が生む〈問い〉にこそ本質があるのです。プロジェクトの大テーマである〈Art for well-being 〉とは何か。むしろここから〈問い〉の時間が始まったのかもしれません。
 とけていくテクノロジーは人と人の縁を結び直します。アートとケアは表と裏ではなく響き合う関係性なのです。後編では複数の視座から語られる世界の豊かさを、少しでもお伝えできたら幸いです。

人間のからだは左と右の二本の柔らかい管が、お互いの間に空いた空間をもちながら、有機的につながり合って新しい一本の管となる(新しくできた一本の管の真ん中は空気の丸い柱・真空の丸い柱であることが基本)。このDNA構造・機能説の考え方の場合においても、管の本質は入口と出口が空いていること、通り路、流れ路、伝わり路が空いていることである。 

『原初生命体としての人間』より 野口三千三(野口体操創始者)

公開実験の記録:とけていくテクノロジーの縁結

 時系列で記録。準備段階、実験終了後のトークセッション(アーティスト4名の言葉)、観客の感想/声、終了後の会場の様子、筆者の手元のメモ。

①イメージの断片を結び直す、大きな風景をつくる

 12日のリハから立ち現れた〈6つの風景〉の随所に生まれた〈イメージの断片〉をとかす。8つのシーンが緩やかに連なる〈大きなひとつの風景〉に結び直す。スタートは佐久間さんの波のリズムが基調。

12日メモ 〈イメージの断片〉から〈シーン〉へ
スタート 夕刻:16:54 日の入りと共に
シーン1 波 佐久間さんのジャワ舞踊(ombak banyu オンバッ・バニュ)から
シーン2 にょろにょろとおどる
(シーン3 ごあいさつ メンバーから)
シーン4 東十条伝統芸能
シーン5 呼吸のはなし 呼吸のリハビリ
シーン6 ぶくぶくカエル
(シーン7 メンバーのおはなし)
シーン8 灯台+ヤジロベエ 
 シーンA 超スローダンス シーンB 角とヤジロベエ 
 シーンC ススキと触角ダンス
 シーンD エンディング 光のフェードアウト    

②準備の風景をきく:〈それぞれのケア〉が響き合う

 会場に入った瞬間、ピリッとした空気感。4本の白い棒が等間隔に並んでいる。冬の午後の光の美しさ。劇場の舞台裏を知る筆者にとっては馴染みのある〈開演前〉の光景。関わる人たちそれぞれが、自分の役割/担当のケアをしている。身体、機械、衣装、照明、椅子の配置、動画記録の機材。アーティストたちは身体表現の〈カイロス時間〉、会場スタッフは実務的な〈クロノス時間〉を生きている。
 〈段取り〉の再確認、記録動画用の〈立ち位置〉を想定する。「記録が残ることが有難い」と新井さんが語る。全体監修の小林さんが白い棒の間隔、窓幅の寸法をメジャーで丁寧に測っている。筧さんは黙々とテクノロジーの動作確認。新井さん、板坂さん、佐久間さんは衣装の打合せ、時々にょろにょろに息を吹きかけている。舞台芸術の文脈なら〈大役〉の、最後の灯りのフェイドアウトを任されたスタッフKさんが入念にチェックする。ヘルパー大高さん、パルスオキシメーターを取りに新井宅に走る。天井の照明チェック。舞台が出来上がっていく。
 〈いまここ〉にいて、少し先の同じ出口をめざして、少しづつ違う時間を生きている。それぞれの世界が響き合いながら〈場の関係性〉が生まれていく。

表現のための、それぞれのケア 撮影:ササマユウコ


③トークセッションの記録:言葉を解きほぐし、編み直す

 アフタートークは登壇者と観客の対話を交えて進む。あらためて手元のメモを頼りに話者ごとの〈ことば〉を追いかけてみると、それぞれの世界観が明確に立ち現れていくことに気づく。トークセッションの中でアーティストたちが何を話していたのか。ここでは交差した4本のことばを解きほぐし、結び直す。それぞれの世界を翻訳するこころみ。

新井さんの世界:

(実験が終わった直後は)すぐに言葉にならず、断片のみが思い出される状態。今年の実験の方がモノを擬人化して、ダンスの相手として捉えていたと思う。〈にょろにょろ〉はビヨンビヨン、ブランブラン、手の中のわずかな動きを拡張する存在。身体が変化する病なので、とにかく経験値が使えない。メモも取れない。去年より動けない。〈にょろにょろ〉には自分の腕のような〈ままならなさ〉があった。自分の身体を〈物理的に動かす〉ような感覚と似ている。
 実験は毎回どうやって〈あそぶ〉かを考えている。リハビリ+パフォーマンス、呼吸の可視化、非言語コミュニケーションなど。同じことが身体的に積み重ねられないALSは脳と筋肉の関係性の病気。他者に動かしてもらうと、自分で動いているような感覚も得られる。奇を衒わないこと。電線にすずめが止まるように、今日は自分の居場所の心地よさに正直でいるようにした。全身をセンサーにして脳を動かす。呼吸の存在感を意識する。ALSは例えば朝のトイレの座り方など、ちょっとしたことが命取りになる。大きな表現はできない。声も小さい。世界を顕微鏡でのぞくように、自分をとりまく環境の方が感度をあげてもらえればと思う。
 今の電動車椅子は重力を一定方向にして、身体に負荷がかかりすぎない設計になっている。ケアのテクノロジーが〈表現の自由〉の可能性をひろげている。最近のダンスや演劇や演奏は、脳が優先しすぎていると思う。身体の方が脳を動かすような、イン/アウトを反転する関係性も大切だと思う。
(下記の佐久間さんのベクトルの話を受けて)、この実験をアウトリーチや移動型にして誰かの家に届ける方法も考えられる。門付芸人(門口で芸を披露する大道芸)みたいな。

佐久間さんの世界:

 〈にょろにょろ〉はそれ以前の打合せ、メンバー間のやり取りの中で行き着いた〈かたち〉だった。頭を拡張したり、身体のままならなさ、モノの負荷がダンサーの達成感につながることが珍しくないジャワ舞踊にも通じる。
 実験は昨年度の方が〈あそび〉が多かったと思う。今年はさらに〈踊る〉方向にベクトルが動いた。モードが変わったと思う。実験か作品か。(自分が作品モードになると)新井さんの頭のヤジロベエが落ちた瞬間にドキッとする。しかしこの場は〈見る人〉を信じてやるしかない。その信頼関係が大切だと思う。昨年11月に新井さん、板坂さんと3人でやった豊橋の大ホールのような作品の方向性か、もしくはアウトリーチか。
 〈ブクブク〉の音は、自分もだんだんカエルになっていく。田んぼが泡だっているような、受け止めきれないほどの暗闇のカエルの声を思い出す。30名で田んぼのカエルの声をきくと、カエルもきく人の〈気〉をセンサリングする。今回は新井さんの息、動けないからこその〈呼吸の存在感〉があったと思う。新井さんに呼応した自分の今日の小さな声、「あー」という表現は、たんぽぽの家のワークショップの中での場面緘黙の症状から生まれた。カエルの声だけでなく、咀嚼音、生活音、AMSR?この実験がたとえば You Tubeを使うとどう意味が変わるのか。みんなで考えてみたい。この場を〈社会にとかす〉方法というか。

板坂さんの世界:※後日インタビューを交えて。

 棒を持ち帰って1週間いっしょに暮らしてみた。部屋にいるだけで影響を受ける。風景としてそこに棒がある/いるだけでもワクワクする。〈環境としての棒〉を擬人化してみる。触っていないのに、触れている感覚もある。(実験中は)自転しているし、時おり反転もするから、自分が操作しているような感覚になる。環境に影響を受ける、という気づきもあった。
※彼女だけ〈にょろにょろ〉ではなく〈棒〉と呼んでいたのが印象的だった。
(以下、後日インタビュー
 テクノロジーはミシンのように自分の手を補ってくれるもの、自分を越えないもの、でもどうしても影響を受けてしまうものだと思う。このプロジェクトの関わり方も、当初の〈新井さんをケアする人〉から〈表現する人〉に役割が変わって、正直まだ自分の関わり方に迷いや戸惑いもある。望まれていることが出来ているのか、他者の目にどのように映っているのか、自分では判断がつかない。ただ今年は、ヘルパー大高さんとの役割分担が比較的はっきりしたので、昨年よりは〈表現する人〉として関われたと感じている。新井さんの日常の〈ケア〉と、自分の手仕事を含む〈表現〉のバランスの取り方をもっと考えていきたい。

筧さんの世界:

 昨年は〈センサー〉という技術的なアプローチだったと思う。観客とつながるために〈空気〉を意識して、CO2や風(サーキュレーター)を使って意図的に視覚化した。
 今回はダンサーの内にある〈イメージ/想像性〉を引き出すためのモノを考えた。年始年末はインフルエンザに罹りつつも、頭の中ではずっとプロジェクトのことを考えていた。白い棒は〈ぼくのものであって、ぼくのものでもない〉存在だと思う。つくりすぎない、余白がある、分解できる、解体できる。ホームセンターでこの〈配管カバー〉と出会った瞬間、思わず「これだ!」と買い占めていた(笑)。アートの文脈では、ブリコラージュに近い感覚だったと思う。
 場をモノにゆだねるような、テクノロジーの〈隠れ方〉についても考えた。動きの中で、〈にょろにょろ〉とダンサーの関係性が紡ぎだされるのを「一緒にみよう、モノに委ねよう」と。その後にもし〈センサー〉が必要となったら、その時に追加すればよいと思っていた。

④観客のことば:手元のメモから

ALS在宅介護を知る新聞記者〇さん:吸引カテーテルのイン/アウト、吸う/吐くが逆転した使い方から〈医療器具は人と人をつなぐモノ〉、インタラクティブだという発見があった。

ウェルビーイング 、触覚の研究者Wさん:「ウェルビーイング」は〈よく生きる在り方〉だと考えている。〈共感〉は安易だからこそ〈ありこなす〉必要があるというか。この実験は〈まつり〉や〈あそび〉、いろんな人が〈共に在る在り方〉だと思った。無生物が知らずに巻き込まれていく。自分もやってみたい場だった。

筧研究室の学生さん:窓ガラスに映る時空の歪みや拡張、伸縮の体験が興味深かった。演者/観客、内/外、車椅子の上下運動、縦と横、夕方から夜、蛙の記憶で時空が拡張され、空間が溶けていった。天井の影に包まれる感覚もあった。

新井さんの作業療法士Kさん:ダンサーの皆さんが、「3つのアメーバがいる」感じだった。仲が良いのか、捕食関係なのか、宇宙?時間や空間がおかしくなって、トークのシーンで現実に引き戻される感覚だった。

新井さんの主治医Hさん:自分の基本にはアーティストに対する尊敬がある。ALSは〈進化の先にある身体〉とも言われ、原初的な動きだけは残ると考えられている(にょろにょろ等)。主治医としては新井さんの病状の進行で小さくなった〈呼吸〉も気になっている。しかし今日はその〈呼吸〉を大きく感じることができた。〈今できるアート〉をあそびの中から感じる良い時間だった。医療チューブや電動車椅子の可能性も感じた。

音楽家Mさん:すべてが音楽にきこえた。以前、新井さんが「音と身体は双子」と話していたことを思い出す。ささやかな息の音、車椅子そのものが楽器のようだった。自身の福祉現場でのワークショップ経験の記憶とも重なり、新井さんと一緒にやってみたいと思った。ささやきオーケストラ。

写真:差異をきく 左12日 右18日

差異①ザツゼン/整然 どちらも美しい 撮影:ササマユウコ
差異②:即興/振付 動/静 撮影:ササマユウコ
差異③:窓の風景をきく 撮影:ササマユウコ

ササマユウコのメモ ※12日と18日の〈差異〉をきく
・雰囲気
会場が〈本番前〉の劇場の状態。ぴりっと張りつめた空気感。
・窓の外
曇り空だった12日から一転してよく晴れている。夕暮れ、光の変化、明暗のコントラスト。
日没後の窓が鏡になる。時空の変化、ドラマチック。
・白い棒
5本から4本に変更。床のコード、整然と配線カバーで固定。等間隔に設置されたことで右端2本 の干渉が消えた。新井さんの車椅子が配線カバー上を通ると〈バリバリバリ〉と音がして面白い。
・白い棒の呼称
にょろにょろ→やじろべえ→最後のトークでは「棒」 ※ほかにキリタンポ、ちくわ
・衣装
佐久間さんの衣装に〈ジャワ舞踊家〉らしさ。
・新井さんの様子
身体に染みついた〈舞台人〉の顔が前面に。〈本番前〉の感覚を思い出したように身体も反応する(開演前、指がつる)。パフォーマンス中は車椅子の上下運動、高い視線が増えた。
・パルスオキシメーター
シーン5 呼吸リハビリのシーンは、クリック音のあるタイプに変更された。リハビリ中に機器の位置がずれてクリック音が止まると周囲に軽い緊張感が生まれる(音は接触の問題)。
・時間の質感
客席に「緊張を強いてしまう」ことは避けたい(新井さん発言)
→静かなシーンが多く、全体的にピンと張りつめた空気感と集中度だった。舞踏的というか。
・アルスとテクネ
筧さんはアルス、新井さんの車椅子や医療器具はテクネ。
・筆者個人の感想
不確定の時間を進む12日リハの方が、アートとしてのワクワク感あり。
18日〈公開実験〉の自分は〈ケアのまなざし〉で見守っていたと思う。無事に終わって安堵。

おわりに/たんぽぽの家の縁結び

実験を終えて。撮影:ササマユウコ

 実験終了後は表現者/観客の境界線がとけて、会場の各所に対話の輪が生まれていきました。この時間こそが、プロジェクトのテーマ〈とけていくテクノロジーの縁結び〉を最も実感できたひと時です。個人的にも嬉しい再会が続き、結び直された縁もありました。観客と対話するアーティストたち、黙々と撤収作業をする人たち、会場には〈それぞれのケア〉が再び始まっている。アート×ケアが人と人をつなぐテクノロジーとなって、窓ガラスに未来の星座を映し出していきます。2020年以降のコロナ禍の数年間を思い返すと、同じ場所に集えることの幸福を思います。ましてや昨年度の実験から1年が過ぎて、新井さんは今もこうして踊っている。これからも続く〈表現〉に思いを馳せます

 このプロジェクトは大学の研究室ではなく、奈良のたんぽぽの家が主催しています。昨年秋に亡くなった活動家・文化功労者の播磨靖夫氏が長年理事を務め、1995年の阪神淡路大震災を機に「エイブル・アート・ムーブメント/可能性の芸術運動」を提唱した〈障害のある人の生きる場〉です。そのほかにも「ケアする人のケア」プロジェクト、アートミーツケア学会など、アート×福祉の可能性を探求し続けている〈新しい知〉の拠点です。
 筆者が初めてたんぽぽの家を訪れたのは2014年。東日本大震災を機に携わった自治体市民大学の福祉学講座と自身の活動リサーチが目的でした。その時に事務局から手渡された2011年3月発行『言語から身振りへーからだを読み解く ケアする人のケアハンドブック』の中で、アート×ケアの世界で踊る佐久間さん、新井さんの存在を知りました。一緒に頂いたビデオには、車椅子の女性と同じ白いドレスを着て、静かに踊る佐久間さんの姿がありました。東京には未だ存在しない世界観に圧倒されました。後に筆者の活動拠点ともなるアーツ千代田3331(現在閉館)には、たんぽぽの家から生まれた「エイブル・アート・カンパニー」の東京事務局がありました。
 奈良を訪れてから1年後、2015年の春に訪れた横浜の地域作業所カプカプで、初めて新井さん&板坂さんのワークショップに出会います。人の縁とは不思議なもので、筆者はその日から約10年間〈カプカプ新井一座〉のサウンドスケープを担当しました。音や楽器を通して、少し離れたところから、ふたりがみんなと生み出す世界をみる/きく時間です。その時の自身の〈場の関わり方〉が、実験中の筧さんのポジションとも重なりました。特に12日のリハでは、公共施設らしい大きなアルミサッシの窓に〈いつかのカプカプの風景〉が思い出されました。〈これから〉をまなざす実験に何度も懐かしさが生まれる。「ああ、この風景は知っている」と思うのです。10年前の冬の光のシルエット、新井さんに〈にょろ〉と呼ばれた色鮮やかな筒たち。そこには永遠に変わらない〈美しい世界〉がありました。

 「今までのネット上の情報は、実は全て残っているんですよ」と、準備中に小林さんが話していたことが心に残っています。世界中の誰かが残した膨大な情報量に圧倒されるような、過去と未来がつながって時空が果てしなく広がるような、不思議な感覚が生まれました。震災とともに消えてしまった2011年3月以前の筆者のサイトもどこかに存在しているらしい。そう考えると不思議と愉快な気持ちになる。それは確かに私が〈生きた証〉だからです。
 この記録もどこかに残るでしょうか。新井さんのALSと共に進むこの実験は、未来の誰かに向けた〈タイムカプセル〉のようにも思えます。プロジェクトが最終的にたどり着く場所は解らない。アートとケアとテクノロジーがとけあって静かに流れるこのプロジェクトは、過去(入口)と未来(出口)をつなぐ1本のチューブの中でいくつもの〈問い〉を生みながら進んでいくのでしょう。
 たとえば昨年は、実験中の不測の事態にアーティストの高い即興性が引き出されていきました。今年は舞台芸術のテクノロジーである〈段取り〉の中で芸術性が高まっていきました。しかしパフォーマンスとしての芸術性が高まると、実験性のみならず、ケアともつながる偶然性や不確定性からは少し遠ざかる気がする。実はこの〈もやもや〉が、プロジェクトの大テーマである〈Art for well-being (よく生きるための芸術)〉を問うこととつながるはずなのです。野口体操を哲学に偶然性や即興性を愛し、病を得てからも「にもかかわらずオモシロク」を生きる新井さん、日々のケアと手しごとの共通性を見出す板坂さん、ジャワ舞踊の厳格な「型」を介してとける佐久間さん、そして今回は4人目のアーティストとなった筧さん。それぞれの世界が響き合いながら何度でも結び直される〈病との関係性〉のなかに、まだ誰も見たことがない〈未来の風景〉が生まれていくはずです。(ササマユウコ記)

本日もカプカプ日和なり〈新井一座〉の記録から  撮影:ササマユウコ 2016

筆者:ササマユウコ(音楽家、芸術教育デザイン室CONNECT代表)
1964年東京生まれ。作曲・演奏活動を経て、2011年東日本大震災を機に「音楽、サウンドスケープ、社会福祉」の実践研究を始める。ろう者のオンガク、即興カフェ、空耳図書館など。2015年以降、新井英夫&板坂記代子と共に横浜・福祉施設カプカプのワークショップ・コレクティブ「新井一座」にて音風景を担当。アートミーツケア学会理事、2023年「関係性の音楽/リレーショナル・ミュージック」提唱で日本音楽即興学会奨励賞受賞
https://yukosasama-web.jimdosite.com

みなさんおつかれさまでした!

撮影:宮内康乃さん

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